ガンを切らずに10年延命-関根 進

再開!元週刊ポスト編集長の目からウロコの体験秘話!

第223回
太宰治らの≪生命力≫を読み直す

僕たちの発行している「いのちの手帖」第5号には、
作家で詩人の野口存彌さんから
<「一日二玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ」――
宮沢賢治と食物連鎖>と題するエッセイを
寄稿していただいたことがありますが、
その野口さんから近著「太宰治・現代文学の地平線」(踏青社)を
送っていただきました。

ちなみに、野口存彌さんは
『十五夜お月さん』『七つの子』『赤い靴』などの
作詞者として有名な詩人・野口雨情氏のご令息ですが、
同じ時代に作家仲間であった、僕の祖父に関する
「沖野岩三郎」と題する評伝を書かれた縁もありまして、
昵懇にさせていただいているわけです。

さて、送られてきた新刊は、
作家・太宰治生誕100年にあたって、
その作品をどう考えるか?について、書かれたものですが、
そのほか、堀辰雄、武田泰淳、藤枝静男、宮沢賢治、倉橋惣三
などについても膨大な新資料を駆使して論及し、
いま現代文学をどう読むかという、
新しい命題と指針を提示した労作です。

皆さんにも、好きな作家がいることでしょうが、
野口さんの新刊に一貫して流れるトーンは、
「自分とは何か」と問いかける作家たちの
≪生命力を読み直す≫という緻密な作業です。
とくに個人の「罪と罰」と「神仏との対峙」の視点から
緻密に作家像を浮き彫りにしているのは印象的です。

たとえば、太宰治の小説「人間失格」については、
「作品を発表することは、恥を書くことであります。(略)
その告白に依って神からゆるされるのでは無くて、
神の罰を受けることであります」(「風の便り」文学界)を引用。

武田泰淳の小説「審判」については、
「武田泰淳の苦悩していたのは、
民族が滅亡しても個人は残るという認識を前提にして、
戦場での行動にしても兵士としてではなく
個人的におかしたとみなければならない加害行為があり」(略)
として、人生における≪罪の裁きと贖い(あがない)≫について、
著者は鋭く言及しています。

とくに、≪太宰治と菊田義孝≫≪武田泰淳と聖書≫
≪倉橋惣三(幼児教育家)と内村鑑三≫
≪宮沢賢治と父・政次郎、伯母・ヤギ≫・・・
などなど、それぞれの作家に宗教的な影響を与えた
周辺人物に関わる新資料と新証言から
“魂の認識”と“時空も超える生命力”の葛藤の系譜を
抉り出していく筆法は圧巻です。

野口さんの緻密で明解な視点を読んだうえで、
今一度、太宰治なり、宮沢賢治なりを再読してみると、
若き日に読み取れなかった作家たちの
人生形成観に気づくばかりではありません。
じつにナラティヴに、
いま自分が抱えている≪人生や生命の物語≫と
照らし合わせることが出来て、
読書の愉しみが倍加するはずです。
いや、いのちの躍動が伝わり、
魂が≪エンパワー≫することは間違いないでしょう。


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2009年6月27日(土)

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