ガンを切らずに10年延命-関根 進

再開!元週刊ポスト編集長の目からウロコの体験秘話!

第99回
マクロビオティック玄米菜食法の体験記

僕たちのスローヘルスの会が発行している
「いのちの手帖」には、マクロビオティック玄米菜食法に関する
興味深いエッセイが逐次、掲載されていますので、
さらに紹介しておきましょう。

大阪に「ムソー」というマクロビオティック製品を販売している
会社がありますが、そこのメンバーである、
山口徹平さんが、「いのちの手帖」第5号の特集――
「食は運命を変える」に寄稿されています。
玄米菜食とは確かに体によいことですが、
誰でも、そのプロセスでは、楽しみだけでなく、
悩みがいろいろと出てくるものですが、
山口さんは実に率直に体験談を書いてくれましたので、
紹介しておきます。

               *

●「好きなことを好きなだけやって、
そしてすべての人に愛される」――
           
3月に千葉の幕張メッセで開催された
東アジア最大の国際食品・飲料展FOODEXに
「マクロビオティック(正食協会)」の名称で
ブースを出しました。

一般に玄米正食や穀物菜食として知られるマクロビオティックは、
これまでずいぶんと雑誌などで取り上げられ、
レシピ本などもたくさん出版されてきたおかげで、
今ではかなりの人たち、しかも若くて美しい女性にまで広まり、
大勢の人がブースに来られました。
マクロビオティックをどーんと広めてくれたマドンナや
坂本龍一さんに感謝しています。

両親とも、マクロビオティックの始祖である
桜沢如一氏のいわゆる弟子で、父などは、その伝道のために、
ぼくが幼稚園に入る前の幼い頃、単身でニューヨークに渡り、
4年ほど暮らしていました。
家庭内での食生活は、マクロビオティックにのっとったもので、
それは厳しいものでした。
小学校では姉弟4人とも給食を口にすることもなく、
家に帰ってご飯を食べていました。
弁当持参だと他の生徒からブーイングが起こったからです。

「おいしくて身体にいいんだよ」と母に言われ、
市場の裏に捨てられていた大根や人参の葉っぱを
山ほど袋に詰めて、家に持ち帰りました。
小学校の同級生の女の子と顔を合わせるのが嫌で、
住宅街の塀沿いを忍者のように歩いたものです。
来る日も来る日も主食は玄米で、
必ずみそ汁がついて、おかずは野菜の煮物といった食事でした。
お菓子や甘いものは家中探しても何もありません。
動物性の食べ物もほとんど未体験でした。

そのおかげで、確かに身体は頑丈でした。
桜沢氏の著書『食養人生読本』に
「リッパな人間に我が子を育てようと思ったら、
できるだけ質素な、できるだけ簡単な、
できるだけ自然な、昔風な食べものを与えることです。

できるだけおそまつな、ゴツイ、荒い、
田舎田舎した野蛮なものを食べさすことです。
これが幼年、少年、青年時代の理想的な食物の秘密です」
とありますが、「リッパな人間」に育ったかはともかくとして、
その通りの食生活でした。

また、そのような質素な食事であったからこそ、
無一文に近い状態でアメリカから帰国した父を含め、
育ち盛りの子ども4人との6人家族が生活できた理由でもあるのです。

               *

続きは明日、紹介します。


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2009年2月23日(月)

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