第10回
幸運を呼んだ王医師、そして帯津医師との出会い
1ヶ月半後、内視鏡とX線検査で調べたら、
なんとソーセージ大もあった腫瘍が
スッポンと消えてしまった――という、
10年前に僕が体験した“奇跡”の話の続きです。
「これでつっかえずにご飯が食べられるぞ」
「もう惨(むご)い手術とはオサラバだ」
と喜び勇んだわけですが、医学用語では、
これは「完治」ではなく「寛解(かんかい)」
(ガンの症状の進行が止まる意味)といいます。
主治医からは
「このまま退院したら、7、8ヵ月後に必ず再発する」
「手術すべきだ」と脅されましたが、
「抗ガン剤+放射線+天仙液+SOD様食品の
組み合わせ治療のお陰だ」、
「あとは漢方や健康食品などの代替療法の組み合わせで
延命を図ろう」と、頑として手術は拒否。
“脱走”するかの如くに、
2日後には荷物をまとめて退院してしまったわけです。
「アイツはガン大学の中途退学生みたいな奴だナァ」
「手術をしない?よほど性質(たち)の悪いガンに違いない」
「可哀相な奴だ、とうとうアイツもお陀仏か」と、
友人知人たちの呆れる声が風の便りに聞こえてきましたが、
「他人任せはいけない」「ガンはあきらめたら負けだ」と、
このときくらい感じたことはありませんでした。
こうして、大学病院の医師とは考え方も処方も全く違う、
「王振国」と「丹羽耕三」という
人間味溢れるタイプの医師を知ることができたのですが、
ただ一つ、二人とも病院が東京から遠く離れた場所にしかない
ということが患者としては不安でした。
ガン患者は危急に何が起こるかわかりません。
僕自身、退院後は厳寒の冬や梅雨時になると食道がつっかえたり、
不調を感じて何度かピンチに会いました。
そうしたとき、親友とは有り難いものですね。
ジャーナリスト仲間にYさんという
編集プロダクションの社長さんがいて、
外科医でありながら漢方などの代替療法に詳しく、
ホリスティック医学の草分けである
帯津良一先生を紹介してくれたのです。
帯津医師は容姿そのものが仏様のように柔和な方で、
こちらの体調が崩れてあわてて駆け込むと
「まあ、いろいろ治す方法はありますよ。
じっくり人生の戦略を立てましょう」といいながら、
にこやかに漢方の煎じ薬などを調合してくれますから、
こちらもゆったりとした気分になって安心できるのです。
帯津医師の経営する病院は埼玉・川越にあり、
後に東京・池袋にもできましたので、
無理にお願いして主治医になっていただいたわけです。
帯津良一医師からは、診察の合間だけでなく著書や講演を通じて、
西洋医学だけが万能ではないこと、
漢方医学からホメオパシー医学までさまざまな治療法があること、
患者には治療選択肢の権利があること、
さらに、それらを組み合わせて
「いのちのエネルギー」を高める知恵を持つべきこと――
こうした新しい「いのち学」の原理を学んだことは、
患者として目の覚める思いで、とても有り難いことでした。
とかく落ち込みがちなガン患者に
予想外の元気パワーをもたらすことになったのです。
いまは贅沢な話ですが、王医師と帯津医師――
信頼する主治医・2人に恵まれたことになります。
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