第137回
海外暮しを視野に入れている方に
かなり偏った体験ですが、
この10年ほどの海外での生活と長期旅行
(初めての海外は2ヶ月のアメリカと主にカナダ滞在でした)
による経験から、
生国日本以外でうまく暮すコツなどあるかどうか考えてみました。
ただし、立場によって「コツ」は違うかもしれません。
海外赴任と、自分から「住む」ことを念頭に出た人では
少し立場が違うと思うからです。
言い換えれば、海外にいても日本社会、
その制度の中からはみ出せないのが海外赴任。
自分から出かけた人は日本を見るより行った先の国、
地域と深く関わらざるを得ない違いがあると思いますが、
どうでしょうか。
私の場合、選んだかどうかは別ですが、後者の立場です。
そこから話を進めてみたいと思います。
旅行や仕事で海外によく出かけていた頃、
人間どこでもそう変わらない、と思っていました。
基本的な喜怒哀楽は同じ。だから心は通じる…風なスタンスでした。
でも外国で生活、特に国の違うパートナーとの生活を通し、
事はもっと複雑かもと考えるようになりました。
もちろん「痛み」「怒り」「悲しみ」「笑い」「喜び」といった
感情表現に変わりはありませんが、
何に対し、どんな時にそうした感情が生まれるのか。
その根底に文化、宗教の違いがあることに気付かされました。
特に「笑い」はわかりやすいと思います。
日本の落語や漫才を聞いて
大笑いできる一般的な外国人は少ないのではないでしょうか。
ここでも普通にイギリス人の冗談にフランス人は笑えないし、
フランス人の冗談にイギリス人は笑えません。
「笑い」は、
それを表現する言葉に精通していなければわかりません。
と同時に、根底の歴史観、宗教観、文化の違いが如実に出ます。
夫と息子の笑い話に、私はついて行かれません。
今後、同じように笑えるか、また冗談が言えるようになるか
(性格にもよりますが)まったく自信がありません。
これが異文化のなかで生きる現実ではないかと思っています。
さらに外国で生きる時、
「自分は日本人」から出発すべきではないかと
考えるようになりました。
これは日本にこだわるのではなく、反対です。
マジョリティーと違う点を自覚すれば、違いを説明できるし、
その違いを目立たなくさせることも可能なわけです。
でも「同じ」という観点に立ったら「違い」は見えなくなり、
わかってもらえない不満ばかりが募るのではないでしょうか。
特別優れた才能を発揮できる人は
人格とは別に評価されることはあっても、
私のような普通の人間はそうではありません。
国内であろうと外国であろうと同じです。
ですから特に外国で生きる「コツ」があるとするなら、
「違い」を念頭に自分を押しつけず、
明るくオープンに振舞う、かなと思います。
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