第99回
フランスのパンの味 2
もう10年以上も前の事になってしまいますが、
オリヴィエが初めて東京に来たとき
目をむいて驚いたことがあります。
東京は新宿、伊勢丹の食料品売り場でのことです。
パンを買おうということになり、
エディアールだったか、
とにかくフランス風パンを売っている場所に行きました。
値段を見た途端、彼は言いました。
「これまでの生涯でいちばん高いパンを食べることになりそうだ」
と。
具体的にいくらだったか、
当時300から500円ぐらいだったと思います。
フランスでは1960年代(正しくは1968年)まで
ずっとパンの値段は政府が統制していました。
日本人のお米同様、最低限の食料だったからです。
それでも戦前は、
パンよりじゃが芋やそば粉を使った食べ物を主食としていた
小麦(パンの主原料)のできない貧しい地方
(ブルターニュ地方はその典型でした)もありました。
現在のようにさまざまな種類のパンにさまざまな値段がつけられる、
つまりパンの値段が自由になったのは
70年代になってからのことです。
今でもパン屋さんは朝の7時から13時と、
午後は15時あるいは16時から18時半か19時ごろまで
営業しているところがほとんどです。
これは売るほうの時間帯で、
作るほうはそれ以外の時間になるわけですから
労働としてそう生易しいものではありません。
ジョジョ(義母)のおじいさんは
ブレストでパン屋を営んでいたそうです。
人も使っていましたが、
いつも粉まみれで大変な仕事だったといいます。
しかし、真面目にやっていればけっこうよい稼ぎはあったようです。
第2次大戦ですべてを失ってしまいましたが、
一家は市内に大きなアパート(日本的にいえばビルでしょうか)を
2軒も持っていたそうです。
だからおじいさん(かなりケチだったそうですが)は
早死にしましたが
(どうやら肺の病気で今なら職業病の一種でしょう)、
生活に困る事はなかったそうです。
今パリの街角のブーランジェリでは、
アラブ系フランス人が営むケースが増えているそうです。
ここでも労働のきつさが嫌われているようですが、
パリの住民ミッシェルいわく、
パリで美味しいバゲットを探すのもだんだん難しくなっていると。
だからパリのパン屋のガイドブック(フランス版です)まで
登場することになったのかもしれません。
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