パリだけがフランスではありません

第59回
戦火から蘇ったサン・マロ旧市街

4月26日〜27日、
義父(83歳)の運転で息子と私の3人で、
1泊2日モン・サン・ミッシェルle Mont-Saint-Michel行きを
実行しました。

ヴァンヌからモン・サン・ミッシェルまで200kmちょっと。
日帰りも可能ですが、
息子は休み中だし誰も予定に追われていないので
ゆっくり行く事にしたのです。
それに留守番の義母もオリヴィエも、
そのほうが一晩気楽に過ごせると喜びました。

1日目の目的地はサン・マロSaint-Malo。

ブルターニュ地方でもっとも良く知られる都市の一つで、
イギリスからのフェリーも着く有名観光地。
4月はすでに観光シーズンですが、
今年は例年より気温が低く天気も良くありませんでした。
そのため人出は今一歩。
私たちにはかえって落ちついた感じで好都合でした。

サン・マロ旧市街(写真)は、
遠景、それも海側から見るのが良いのだと、
この辺りを知っている義母から聞かされていました。
彼女がまだ少女だった頃、
サン・マロが好きだった父親に連れられ
船でこの町を訪れたからです。
その時の印象は今も彼女の心の中に
父親の思い出と共に鮮明に焼きついているようでした。

しかし彼女が見ていたサン・マロの旧市街と
現在の旧市街は同じ物ではありません。

1944年8月、
旧市街の80%が空爆とそれによる火災で焼失したからです。

義母の故郷ブレストもそうですが、
ブルターニュ地方の沿岸都市はどこも重要な軍港でした。
その多くが第ニ次世界大戦末期、
解放軍であるアメリカの空爆により焼き尽くされたのです。
最初にこうした話を義母から聞いたとき、
なぜかてっきりドイツ軍による破壊行為かと思ったのですが…

サン・マロ旧市街を壊滅させた空爆は、
ナチス・ドイツ軍のフランス国内初の敗北でした。
実際ここには
ドイツ軍よりずっと多くの普通の市民が暮らしていたわけですが、
アメリカ軍は敵を追い出すには
町を焼き尽くすのが最良の方法と考えていたそうです。

12世紀からの歴史を持つサン・マロは
フランス、フランス人にとって貴重な財産といえる町でした。
戦後、再建に動員された人々は、
情熱を傾け古文書、古い写真、絵などあらゆる資料を駆使して
昔の姿を今に蘇らせたのでした。
崩れた城壁、建物の石一つ一つに番号をうち、積み上げる。
今ある姿を取り戻すまで、
いったいどんなに時間とお金と人々の知恵や働きが費やされたのか…

さすがに義父は休みましたが、夕食後息子と私は散歩に出ました。
雨上がりの城壁の上から見た夕暮れの町と、
水平線にくっきりと沈んでいった夕日は印象的でした。



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2005年6月1日(水)

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