第36回
便利な「スープの冷めない距離」
私の両親はすでに他界していますが、
主人の両親は二人とも80も半ばに近い歳で元気にしています。
彼らは今、我が家から歩いて7分ぐらいの所に住んでいます。
ライアテア島からフランスに越すと決めた時、
義理の両親はリヨン近郊に4ヘクタールもの敷地を持つ
大きな家に住んでいました。
どうやら彼らは私たちが近くに住むことを期待していたようです。
ところがリヨンで生まれたのに
そこが好きになれないオリヴィエは、海の近くを希望しました。
ここに暮らして半年後、
義父の右手に軽い麻痺(今は治っています)が出ました。
それをきっかけに彼らの中に不安が生まれたようです。
大きな家をこのまま維持できるのか。
買物も車で30分ほど走らないとできないし、
道はリヨン中心部への幹線道路。
交通量は年々増していました。
いつまで安全に運転できるか、などなど。
結局それから2年、紆余曲折はあったものの
彼らが私たちの近くに越す決断をしたわけです。
ここでも買物は車を使わなければできませんが、
交通量は格段に少ないし、
セネの中心部までどんなにゆっくり走っても10分で着きます。
家の掃除は週2回、フランス語で言う
ファム・ドゥ・メナジfemme de menage
(通いの家政婦、お手伝いさんという意味)に頼んでいます。
もちろんリヨンでもそうでしたが、
人を見つけるのがたいへんでした。
気候も海洋性の南ブルターニュ。
内陸のリヨンと違い、穏やかです。
夫は3男の末っ子ですが、
以前から両親は自分が見るのかもしれないといっていました。
まあ、実際ここへ来る前は
家族一勝手気ままに人生を送ってきたので、
彼らがその思いを知ったら
「よくいうよ」と言うに違いありませんが、
結果的にそんな風になっています。
いずれにしても両親の決断は、
私たちにとっても非常に都合の良いことだったのです。
以前は休みといえば時間をかけ、
時には犬も猫も連れてリヨンまで行かなければなりませんでした。
しかもオリヴィエが店を始めてからはそれもままならなくなりました。
そして前記のようにどちらかの具合が悪くなっても、
すぐに駆けつけるわけにはいきませんでした。
今は風邪を引いたとか、少しでも普段と調子が違うときは、
犬の散歩の途中によったり、
主人が帰ってきてから3人で様子を見に行くなど
気軽にやっています。
これも「スープの冷めない距離」なればこそ。
同居?
それは最初から誰にとっても頭の隅にもない選択肢でした。
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