第227回
「私の書くものは『朝の思想』である」
『朝は夜よりも賢い』の翌年に発刊した
『野心家の時間割』で邱さんは
一人の人が考えることに「夜の思想」と「朝の思想」の別があり、
数多い作家には「夜の思想」を得意とする人がいるが
自分は「朝の思想」の作家であると書いています。
「夜、考えたことは、朝になって考えなおしてみると、
ほとんど実用にならないことばかりである。
何度もそういう体験をくりかえしてきたので、
少しばかり賢くなって、夜、寝られない思いをした時には、
無理矢理寝ようなどとは考えないで、スタンドの灯をつけて
枕元にある読みかけの本を手にすることにした。
さきに面白くて朝方まで読んでしまうような本があるといったが、
そんな本は本当は滅多にない。
滅多にないから読みかけた本をまた読みはじめると、
すぐ眠くなる。眠くなったと思って灯を消すと、
暗くなった途端にまた目が冴えてくる。
するとまた灯をつけて本を読む。
そういうことをくりかえしているうちに、
いつか眠りにおちいってします。
夜には『夜の思想』があって、
それはそのまま昼間の行動の基準にはならないから、
昼間やることについては、
夜考えないことが時間の無駄にならないのである。
ただし、そんなことをいっても、
平静でおられない夜のない人はまずいない。
七転八倒しても、また一晩中、怒り狂っても、
その時間は、仕事に使える時間でないことに
変わりないものである。
もっとも、小説家などには夜型と昼型の人がいて、
昼間は頭も冴えないが、
夜になると途端に元気になる人がある。
(略)
それに比べると、私の書く文章や私の思想は
『朝の思想』である。『朝の思想』だから、
昼間、動き回っている人の気持ちにうまく合致する。
その代わり、私の本を夜、読む人は、
『何と風情のない人だろうと』と思ったりするかもしれない。
私の悪友の中には、私の書いた『朝は夜より賢い』
という本のタイトルをしげしげと眺めながら、
『朝は夜より堅い、じゃないのですか』
とまぜくりかえしたりする奴もある。
『それじゃあ川上宗薫センセイの世界に戻ってしまう』
と私も負けてはいないが、とにかく、
夜の8時間はベッドの中の時間である。
ベッドの中で何をするか、
またどういうことにどれだけの時間をかけるかは、
人によって違う」(『野心家の時間割』)
|