第228回
「企業家は夜中に目をさましてプランを立てる」
邱さんにおいて「朝は夜よりも賢い」という考えが
いつごろから生まれたのででしょうか。
邱さんは昭和40年頃、
歌謡曲の歌詩をつくることに熱中しましたが、
その翌年の昭和41年に
『何をたよりに生きようか』を発刊しました。
この『何をたよりに生きようか』のなかで
「朝は夜より賢い」という思想をうたった
『朝を待つ夜』という歌詩を書いていますので、
少なくとも、40歳頃には「朝は夜よりも賢い」
という考えが生まれていたことがわかります。
「夜中にふと目をさます。
一時間か、二時間は、考え事が続く。
この時間に考えたことは翌朝になれば霧散してしまうような、
とりとめのないことが多いと知っていながら
ついつい同じ愚をくりかえす。
だから、求められて色紙を書くときに
私は自戒の意味をこめてよく『朝は夜より賢い』と書く。
歌謡曲の作詩をはじめたときも、
『朝を待つ夜』と題して次のような文句をつづった。
悲しみこらえてきいてごらん
夜のしじまを打ち破って
かそかにきこえる天の声
夜より朝が賢いよ
夜より朝が賢いよ
朝が来るのをお待ちなさい」
(『何をたよりに生きようか』昭和41年)
続いてリコー創業者の市村清さんが
銀座の三愛ビルを眠れない夜中に
着想したことにもふれています。
「山口瞳さんの説によると、
サラリーマンでも中年になると、
夜中にねむれなくなって
犬を連れて夜道の散歩をしたりするそうだが、
企業家になると、散歩で気を散らすよりも
寝床から起きあがってプランを立てることが多いようだ。
たとえば、銀座4丁目の三愛の円筒ビルは、
市村清さんの夜半の創作であると、ご本人からきいた。
そういえば、あのビルは金が儲かりそうな格好であるよりは、
夜の12時すぎにネオンをつけっぱなしにしておいたら、
よく目立つ建物である。
私はあの建物を見るたびに、夜中に起ちあがって
苦悩する企業家の姿を頭に浮かべるのである。」
(同上)
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