Qさんの本を読むのが何よりスキ
という戸田敦也さんがQライブラリーのガイド役をつとめます

第221回
何回もピンチをくぐりぬけて大をなした
『日本で最もユニークな経営者小林一三伝』

昭和39年に『財界の鉱脈』として
小林一三さんと大屋晋三の二人をとりあげましたが、
昭和58年、Qブックスシリーズの一冊として
小林一三さんにしぼり『日本で最もユニークな経営者』と
装いを新たにして出版しました。

「明治以降の日本の経営者のなかで、
『最もユニークな人を一人だけ上げよ』といわれたら、
私は何のためらいもなく、小林一三の名前を挙げるであろう。
渋沢栄一とか、岩崎弥太郎とか、
明治をいろどる素晴らしい先覚者もいるし、
また当代でいえば、本田宗一郎さんとか、
盛田昭夫さんといった世界的なスケールで
経済大国日本のイメージ・アップに貢献した人もある。
しかし、その着想から言って、
今日の日本を予見できるような事業の展開をしてきたのは、
小林一三であり、阪急グループの事業の隆盛が
何よりの証明になっている。

昭和39年のはじめに、私は週刊サンケイから、
『何か経営者の参考になるような連載物を書いてくれませんか』
と頼まれて、すぐに小林一三の評伝を書くことを思い立った。
実はその少し前から近代日本の経営者たちの言動や
業績に興味を持ち、自伝他伝などあれこれ読み漁っていたが、
その中で最も心引かれたのは小林一三であった。

小林一三については、その後、多くの伝記が書かれ、
その人となりや足跡について知識をお持ちの方も多いと思う。
約半年にわたって週刊サンケイに連載した私の小林一三評伝は
いわばそのハシリみたいなもので、
本文をおよみいただければすぐにわかることだが、
私の筆になる小林一三は大して偉い人のようにも思えないし、
このくらいのことなら自分にもできそうだという気を
起こさせるていのものである。
しかし、一見、何でもないように見えるところが
小林一三の衆にすぐれたところで、
生前、親しくしていた人たちから、
本人にまつわるエピソードをきけばきくほど、
大したジイさんだぞ、という感を新たにした。

私が小林一三伝を書いた昭和39年といえば、
30年から始まった高度成長経済が
はじめて空前のピンチに遭遇した時期で、
山一證券に対する日銀特融など証券恐慌で
産業界が大揺れに揺れた時期でもあった。
私はホテル・オークラのロータリー・クラブで
居並ぶ著名な経営者たちを前に、
『いよいよこれから日本の経営者たちが頭を痛める時期に入った』
とスピーチした記憶があるが、
ピンチにおちいると、
改めて小林一三という人の真価が思い出される。
日露戦争後の株価大暴落の最悪の時期からスタートして、
何回となくピンチをくぐりぬけて大をなしたのが
この人だからである。」
(『日本で最もユニークな経営者小林一三伝』まえがき)

ちなみに95年にウィンブルドンでベスト8に輝くなど
テニスプレイヤーとして活躍した松岡修造さんは
この小林一三さんの曾孫にあたります。


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2003年4月5日(土)

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