第212回
清涼剤の役割を期待する『邱飯店のメニュー』
『邱飯店のメニュー』は出版されてから
8年たった平成3年に邱永漢ベスト・セラーズの一冊として
再版されました。
以下、再版に際して邱さんが書いた「まえがき」です。
「私の家の食事に『邱飯店』という名をつけたのは、
文藝春秋の社長の池島信平さんであった。
どんなに忙しくても、私が招待の電話をかけると、
かならず都合をつけ、ご自身や奥さんだけでなく、
『あの人をつれていってよいか』
『この人も連れて行ってよいか』
とゾロゾロ友人をつれて来られた。
老大家や今をときめく流行作家の中にも食いしん坊は多いから
『よォ、邱飯店に行こう』と池島さんが誘うと
誰でも喜んで私の家にメシを食いに来た。
といっても、私の家は誰でも来られるわけではない。
まずイチゲンさんは入れない。
それからどんな料理を食べても、お金はとらない。
その代わり食べている間、仕事の話はしない。
またどんな料理を食べても、中座はいけないし、
電話の呼び出しに席を立ってはいけない。
洋の東西の無駄話にふけり、料理を楽しむだけの一夕である。
こういう食事の会を狭い我が家でやっているうちに、
30年の歳月がたった。
家も5回かわり、今住んでいる家は新しく建てた家を
また建て直した。
我が家に足を運んでくれた人たちも池島さんをはじめ、
多くの人たちがあの世に行ってしまった。
この作品を『週刊ポスト』誌に連載した時、
有名な作家の名を知らず、
『何をしている人ですか』ときかれたのには往生してしまった。
文章の生命は長いというけれども、
後世に残るものは万に一つもありはしない。
文章よりは食欲の方がずっと長い。
本はすぐ読まれなくなってしまうけれども、
お腹はいつもすいている。
だから食べる話をすると、皆、目を輝かせる。
おいしい料理に楽しい話題が加われば、
それが最良の消化剤になる。
我が家におけるその記録がこの本である。
消化剤とまでいかなくとも、
清涼剤の役割をはたしてくれればとても嬉しい」
(ベスト・セラーズ版)
本書にはたくさんの人が登場しますが、
邱さんが日本の文壇で活躍するのを後押しした檀一雄さん、
檀さんと同じ佐藤春夫門下生の安岡正太郎さん、
『食は広州にあり』を推奨した丸谷才一さん
「邱飯店」の命名者で文藝春秋の社長、池島信平さん、
中央公論社社長で邱さんに執筆の機会を提供した嶋中鵬二さん
といった方々がしばしば登場します。
また実業界で活躍した人として、
帝人社長の大屋晋三さん、
リコーの創業者の市村清さん、
栗田工業の創業者栗田春生さん、
本田技研創業者の本田宗一郎さん、
ソニー創業者の盛田昭夫さんらが招かれ
そのときの楽しい会話が活写されています。
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