Qさんの本を読むのが何よりスキ
という戸田敦也さんがQライブラリーのガイド役をつとめます

第190回
“熟年”を背後に登場した『ダテに年はとらず』

“熟年”というコトバが新聞の広告欄などに登場したのは
昭和55、6年くらいのことだったように思います。
その頃のことでしょうか、邱さんに新聞社から
執筆の依頼がありました。

「熟年の生き方についてホンの短い文章を書いてくれと、
ある新聞社から依頼された。
私は『熟年というと何となくきこえはいいが、
要するに死を意識する年齢のことである』
『人間年をとったら、年寄りとしての義務を必要もあるが、
人に好感をもたれる必要もあるから
お祝いなどは少し奮発した方がよい』
という文章を書いた。」

そうしたら新聞社の担当者から
『“死”という表現は悪いから
“来し方行く末”になおしたが、よろしいか』と聞いてきて、
短い文章は『寸鉄釘を刺す』でなければならないのに
その要領がわかっていないと邱さんをして慨嘆させました。

以上は、昭和57年にPHP研究所から発刊した
『ダテに年はとらず』の冒頭で紹介されている話です。
この話に続けて邱さんは“熟年”について書いています。
『「近頃は熟年というコトバが
盛んにジャーナリズムに登場するようになった。
日本の国全体が高齢化社会への道を辿っているのだから、
それは当然のことであるが、
要するに『老年』のことであり、
『老年』というと何となくうら淋しいから、
『熟年』と耳にさわらないように呼びかえたにすぎない。
だから『女中さん』を『お手伝いさん』と呼びかえたのと
同工異曲で、別に中身が変わったわけではない。」
ただ
「いま大量に発生しつつある老人たちは、
老人となる過程で職場からほうり出され、
老残の日々を送るための
生活の糧の心配もしなければならないし、
時間潰しの方法も考えなければならない状態にある。(略)

それらの人々を若者たちはオジンと呼び、
オジンは昔からオジンであったような錯覚をおこしているが、
よく考えてみると、昔から年寄りだった人はおらず、
どの年寄りも、年寄りとしてはまだ新人だから、
オズオズと拒否反応は示しながら、
年をとりつつあるのである。
『選ばれてあることの恍惚と不安、我にあり』
と太宰治は言ったが、老人の“恍惚”は
『恍惚の人』の“恍惚”だから、何ひとつよいことはない。」
(『ダテに年はとらず』はじめに)


←前回記事へ

2003年3月5日(水)

次回記事へ→
過去記事へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ