Qさんの本を読むのが何よりスキ
という戸田敦也さんがQライブラリーのガイド役をつとめます

第189回
珠玉のエッセイを集める『食べて儲けて考えて』

邱さんが各誌に書いたエッセイを仕分けし、
主として経済的発想からスタートしたものを集めて
『固定観念から脱する法』と題して日本経済新聞社から
出版しましたが、時をおなじくして、
主として文芸的発想で書かれた
エッセイを『食べて儲けて考えて』と題して、
PHP研究所から出版しました。

以後たくさんの作品を出版することになる
PHP研究所からの出版第一号著作ですが、
この本のまえがきで邱さんは
エッセイの独自性や文学についての自分の考えを披瀝しています。

「どういうわけだか、文学のジャンルのなかで日本の文壇は、
特に『小説』を重視する傾向があり、
明治以来ずっと、『小説』即文学と考える風潮が強かった。
文士といえば、小説家のことを指し、
『小説』以外の評論やエッセイを書く人は
すべて雑文家と呼ばれた。
従って、原稿料も、小説の原稿料が一番高く、
雑文書きで生計を立てることは容易ではなかったのである。

私はもともとそうした日本文壇の本流とは
無関係の世界から入り込み、
いわゆる日本的な思考に束縛されることがなかったので、
『人の読みたがる文章を書くのが文章家であり』
『お金に関する文章でも、セックスに関する文章でも、
うまいものもあれば、品のないものもあり』
『すぐれた読物はすぐれた文学である』
と信じてきたし、いまでもそう信じている。

しかし、世間の扱い方のせいもあって、
日本ではエッセイストとしての天分に恵まれているにも拘わらず、
小説家としてあまり大したことのない作品を書いている人を
しばしば見かける。
そういう人の作品に接するたびに、
自分に似合う舞台で踊ればよいのになあ、
と思ったものであるが、幸か不幸か、
最近は小説という形式の文学が説得力を失い、
衰亡のきざしを見せてきたので、
珠玉のエッセイが光るようになってきた。
その分だけ、小説家がエッセイを手がけるチャンスも
多くなってきたが、小説家のエッセイやノンフィクションで、
ウーンと唸らされるものに出会うのは容易なことではない。
小説より難しいぞ、と改めて思い知らされるのである。

エッセイは短い文書のなかで、
それなりに頭も尻も尾も必要である。
物を見る確かな目も、人を感心させたり、
おどろかせたりする着想も必要である。
生活者としての知恵を持ちあわせているかどうかも、
読む人にすぐ見透かされてしまう。
そういう意味では、『遊び』と
『知的ゲーム』の要求される時代にふさわしい読物は
何といってもエッセイであろう。
もちろん、これは自分の書いたものの出来不出来は棚にあげて、
一般論をやっているだけのことであるが・・・」
(『食べて儲けて考えて』あとがき)

私はここに収めれている作品を何度も再読し、
邱さんは現代の東洋に生まれた思想家の一人といって
さしつかえないと思うようになりました。


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2003年3月4日(火)

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