第136回
『金儲け未来学』には国際編も織り込まれています
邱さんは「金儲け未来学」と題する全集の月報を
書き終えたところで台湾に帰ることになりました。
「それは私にとって予期していないことだっただけに、
日本にいる日本人と同じような立場でしか
物を見ていなかった私に
全く別の角度から日本経済を見ることを教えてくれた。
それまで私は、賃金の安い発展途上国から
追い立てられる日本人しか想像していなかったが、
資本と技術を提供すれば、
一転して追う側の立場に立てることを発見したのである」
(『金儲け未来学』結語)
そこで邱さんは第一回の台湾旅行から帰ってきた直後、
『経営者会報』に「台湾へ金儲けに行こう」書き、
この文章を読んで以後の台湾投資考察団に
大勢の人たちが参加することになりました。
また邱さんが台湾に行けるようになった時期は、
日本が中華人民共和国と国交を復し、反対に
台湾の中華民国とは国交を断絶する時期でもありました。
そこで邱さんは『中央公論』本誌昭和47年11月号に
14年ぶりに「新しい日台間に外交関係は要らない」を
書きました。
「これは政治評論のように見えるけれども、
台湾に新しい投資先を見つけようと考えている人たちにとっては、
台湾や台湾人の気持ちを理解する上で役立つだろう」(同上)
というのが執筆者の狙いです。
また邱さんはその2年前の昭和45年に『自由』誌に
「世界の憎まれ役・日本」を書きました。
「日本のかなりの数の企業が、その工場を
東南アジア各地へ移さざるを得ない時期が遠からずくる。
公害をまき散らした企業が
公害の後始末をする責任があるように、
金儲けをした人はその企業で働く人々に幸福とともに、
精神的な平和をもたらす責務がある」(同上)
ここに紹介した
「台湾へ金儲けに行こう」
「新しい日台間に外交関係は要らない」
「世界の憎まれ役・日本」
の三作品が国際編の金儲け話として
『金儲け未来学』の後半を構成しています。
このように『金儲け未来学』は、日本国内だけでなく、
東南アジアからの接近も織り込まれた書となっています。
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