第128回
喧嘩に強い週刊誌の記者も邱さんの同行に緊張
邱さんの心は台湾に帰る方向に傾きました。
しかし、どんなことが起こるかわかりません。
予期せぬ事態が起こることも考え、邱さんは手を打ちます。
「私はかなり心が動いたが、
待て待て、どんなことが起こるかわからないから、
然るべき手を打っておかないとうっかり帰るわけにはいかない。
そう思って、私は嶋中鵬二さんに事情を打ち明け、
『実は二十何年ぶりに故郷へ帰る気を起こした。
歴史がこのへんまで進展してきたら、
二度と再び出てくることができなくなったら、
宜しく頼む』という意味のお願いをした。(略)
すると嶋中さんは『ほかならぬ邱さんのことです。
もし邱さんが帰れないようなことが起こったら、
僕らは早速にも台北に乗り込んで、
手助けをするから大丈夫ですよ』と元気づけてくれた。
しかし、台湾の政権の暗さを考えると、
待て待て、出版社の社長に言われたくらいで
安心するのは早すぎるという気になる。
念には念を入れる必要があり、
こういう時には誰か目撃者を連れて行くに限る。」
(『私の金儲け自伝』)
目撃者として邱さんは『週刊新潮』を選びました。
「あの週刊誌だけは、初めから喧嘩腰で、
総理大臣でも来い、通産大臣でも来い、共産党でも来い。
国鉄労組でも来い、という姿勢で一貫している」(同上)
そこで知り合いの『週刊新潮』の記者に同行を願い、
了解をえましたが、いよいよ出発という日の
前の晩のかなり晩くなってから、
その記者から邱さんのところに電話がありました。
「『どうしました。こんな夜遅く?』
と私が電話口に出ると、相手はいきなり、
『あの、僕つかまらないでしょうか』
ときく。
『どうして君がつかまるの?』
とききかえしたら、
『いや、実は寝つかれないままに考えていたら、
ふと歴史の曲がり角に立っている僕自身を発見したのです。』
と、いささか深刻そうな口ぶりである。
私は思わず吹き出しそうになって、
『歴史の曲がり角に立っているのはこの僕ですよ。
君はそばで見ているだけじゃありませんか』
と言ったら、さすがに気がついて相手も笑いだした」
(同上)
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