第127回
「台湾の精神安定剤になって欲しい」の要請に心動く
一度、帰国の要請があったあと、
続いて台湾国民党副秘書長の林金生氏が来日し
あらためて邱さんに台湾に帰ることを要請しました。
このとき、邱さんは自宅で嶋中鵬二さん、
作家の安岡章太郎さんを交え林金生氏と会食しました。
「私にとっては自分の運命を大きく変える
大事な日だったので、気心の知れた安岡章太郎さんと
中央公論社社長の嶋中鵬二さんに同席してもらった。
将来もし台湾へ戻って、
金大中事件(当時はまだ発生していなかったが)
みたいなことにでもなった場合のことを
想定したからであった。
国事犯として首に懸賞をかけられた人間としては、
事前の根回しがあるとはいえ、
自らすすんで故国へ帰るのには
かなりの勇気が必要だった。」(『邱飯店のメニュー』)
このときも邱さんは要請に応じませんでしたが、
帰台の要請は三度にわたりました。
「私は台湾行きを二度まで断ったが、
間もなく三度目の使いがやってきた。
三度目は、今までとは違った筋からで、
その人は『台湾から日本の企業が引き揚げたりして、
民心も動揺している。こういう時期に、
邱センセイのように、日本の経済界や言論界に
信任の厚い人が台湾へ帰って投資をするとなれば、
台湾の精神安定に役立つと思う。
もしその気になっていただけたら、
100万円投じても10億円投じたように宣伝しますよ。
一つトランキライザーになっていただけませんか』と
きわめて鄭重であった。」
(「新しい日台間に外交関係は要らない」
『金儲け未来学』に収録)
「ついこの間まで“つかまえたら銃殺にするぞ”
と脅かされていたところから使いが来て、
しかも男の泣きどころを押さえたような話しである。
私はもし、台湾に帰って大臣をしてくれという話なら、
さして心は動かないが、
台湾のGNPを引き上げる仕事に力を貸してくれないか、
と口説かれると、
第一に、これは多くの人に喜ばれることだし、
第二に男の虚栄心を満足させる仕事である」
(『私の金儲け自伝』)と心が動きました。
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