Qさんの本を読むのが何よりスキ
という戸田敦也さんがQライブラリーのガイド役をつとめます

第125回
故郷台湾を支配する国民政府が亡国の危機に瀕しました

邱さんの最初の全集が発刊された昭和46年には
国際的に大きな二つの大きな事件が起こりました。

一つはアメリカがドルと金との交換を停止したことです。
戦後、アメリカの経済力が圧倒的に強く
通貨もドルに一番の信頼が置かれていましたが
アメリカの競争力に徐々にかげりがさし、
国際収支が赤字基調を続けるようになりました。
そこで8月中旬、アメリカのニクソン大統領が
ドル防衛策として、ドルと金の交換の停止を発表したのです。

この年の12月にはスミソニアン会議で
通貨の多国間での調整が行われ、
戦後長く1ドル=360円と定められてきた円と
ドルの関係は1ドル=308円とドルの切り下げ
(円の切り上げ)が行われました。

ちなみに翌々年の昭和48年の2月には
円が変動相場制に移り、国際的に見ても
第二次世界大戦後続いてきた国際通貨体制が崩壊して、
新しい体制に変わっていくことになりました。

国際的に起こったもうひとつの事件は
国連総会で中華人民共和国の代表権を認め、
代わりに台湾を支配している中華民国政府(国民政府)
を追放するという提案が可決されたことです。

昭和46年、当時アメリカは北ベトナムと戦争をしていましたが、
ニクソン大統領は、アジアの平和は中国との和解なしには
あり得ないと考えるようになり、昭和46年の夏、
中国に派遣されたキッシンジャー大統領特別補佐官が
周恩来首相と会談して、ニクソン大統領が翌年5月までに
北京を訪問すると発表したのです。

そして昭和46年の10月、国連総会で、
中華人民共和国の代表権を認め、代わりに
中華民国政府(国民政府)を追放するという提案が
可決されました。

邱さんをお尋ね者にしてきた台湾の中華民国政府が
国際舞台で風前の灯火の状態に置かれてしまったのです。
日本のドル相場は暴落しているのに、
台湾では資本が逃げだし、ドル相場が暴騰したのです。
台湾住民の心が落ち着きを失ったのはいうまでもありません。


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2002年12月30日(月)

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