Qさんの本を読むのが何よりスキ
という戸田敦也さんがQライブラリーのガイド役をつとめます

第124回
全集を機に編集された小説集『オトコをやめる話』

「邱永漢自選集」十巻として
第一回の配本『私の金儲け自伝』
(「私の金儲け自伝」「日本天国論」を収録)につづいて
次の各巻が発刊されました。
『香港・刺竹』(「香港」「刺竹」収録)
『サムライ日本』(「サムライ日本」、「キチガイ日本」収録)
『私の株式投資必勝法』
(「私の株式投資必勝法」「もうかりまっか」収録)
『奥様はお料理がお好き』
(「食前食後」「奥様はお料理がお好き」収録)
『東洋の思想家たち』
(「東洋の思想家たち」「新説二宮尊徳」収録)
『金銭読本』(「金銭読本」「借金学入門」を収録)
『密入国者の手記』(「濁水渓」「密入国者の手記」収録)
『食は広州に在り』(「食は広州に在り」「象牙の箸」収録)
『オトコをやめる話』(「惜別亭」「オトコをやめる話」)

この最後の配本に収録された「惜別亭」は
既に単行本として発刊された小説集です。
一方「オトコをやめる話」は、
過去あちこちの雑誌に書いてきた小説を
この機会に集めて編集したもので
「風流漢奸」「恋の広場」「田沼学校」と
「オトコをやめる話」の4つの小説を収録しています。

これらの作品は、
のちに邱永漢ベストセラーズの一冊としても発刊され、
そのまえがきで邱さんはこれらの作品について解説しています。
「『風流漢奸』は国民政府からも共産政府からも
容れられなかった自分自身を戯画化して書いたものだし、
『恋の広場』は先にも後にも一回だけ筆の進まなかった
『誰が家の花』という婦人画報誌の連載をするために、
昔のパレスホテルにカンズメになっていた時に、
すぐお隣にあった皇居前広場に散歩にでかけて
歩いているうちに思いついたストーリーだった。
あの頃の皇居前はまだラブホテルに不自由していた。
若者たちのランデブーの名所だったのである。

『田沼学校』と『オトコをやめる話』は
三字名前の外国人作家が書いた時代小説である。
日本の歴史や国民性に対する私の名前は当然ながら、
生粋の日本人作家と視点からして違っている。
そういう視点から『サムライ日本』や
『キチガイ日本』などの文明批評を既に書いていたが、
田沼意次や本能寺の変を
私が小説に仕立てるとこういう形になった。

人知れず苦吟している私の姿を見て
『中央公論』のいまは亡き嶋中鵬二さんが
『邱さん、三字名前で髷物は無理だよ。
何とか錬三郎とか、
なんとか長三郎とかいった名前でないと・・・・』
とアドバイスしてくれた。
それがきっかけで、お金の話に転向して
とうとう今日のようなお金儲けの先生になってしまった」
(邱永漢ベストセラーズ版『オトコをやめる話』)


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2002年12月29日(日)

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