Qさんの本を読むのが何よりスキ
という戸田敦也さんがQライブラリーのガイド役をつとめます

第123回
『私の金儲け自伝』が『邱永漢自選集』のトップバッター

昭和46年10月から昭和47年7月にかけて
『邱永漢自選集全10巻』が徳間書店から発刊されました。
この全集の第一回の配本は『私の金儲け自伝』です。
この一巻は評論作品として多くの人から注目を浴びた
『日本天国論』と、できたばかりの
『私の金儲け自伝』を収録しています。
この本の「あとがき」で邱さんは後者の
『私の金儲け自伝』について書いています。

「『私の金儲け自伝』は『週刊現代』への連載中、
モニターの投票でずっと
2位、3位を持続し、週刊誌の連載物としては
例外的な人気を博したときいている。
これは私の半生がかなり変化に富んだもので、
それ自体、読物的要素をもっていたせいもあるが、
時代が『金が出てくる人生論』を要求していたからでもあろう。
従来の人生論は、恋愛論ばかりであったが、
平均寿命が延びると皆、実利的になって、
金のことを考えるようになる。
私の自伝は、そうした角度から書かれたものだから、
読者の皆さんの嗜好にうまく投じたのかもしれない」

さて、この『私の金儲け自伝』は
邱さんがのちに台湾に帰るようになり、
台湾での体験を追記した新版を昭和52年に出版しています。
そのまえがきで邱さんはこの「自伝」について
あらためて論評しています。

「小説家が自伝を書くのは、あまり見映えのしないもので、
まして“私の金儲け自伝”などという
おかしなタイトルがつくと、
はずかしいという気持ちが先に立つ。
『恥多き物語書きて、得たるお金いくら』と
佐藤春夫詩集に出てくるが、物書きというのは、
恥をさらして生きているようなところがある。

金儲けのうまい人が世の中にはいくらでもいるのに、
大して金を持っているわけでもない私が
金儲けに焦点をあわせた自伝を書くのは、
どう考えてもカッコがつかないが、
ただ、うまく行った話しよりも
うまくいかなかった話の方が多いから、
読む人に安堵の胸を撫でおろさせる効果は
あるかも知れない。

私は『自分の傷口を人に見せないで、
人さまを感動させることはできない』と信じているので、
功なり名を遂げた人から見たら、
『少し余計なことを書きすぎている』と
映るようなところがあるのではないかと思う。
しかし、それが物書きの宿命だと私は割り切っている。」
(「『私の金儲け自伝(旧版)』あとがき」)


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2002年12月28日(土)

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