第122回
半生記『私の金儲け自伝』を執筆
昭和46年の秋から、
「邱永漢自選集」を出すことになりましたので、
その下準備として邱さんは
昭和46年5月から8月まで『週刊現代』に
『私の金儲け自伝』と題する半生記を
連載することになりました。
「いっそこの機会に、なぜ小説家が『お金儲けの神様』
になったのか、神様の正体はどんなものか、
厨子をひらいて皆さんにお見せするのも一興かと思いました。
そこで週刊誌から声がかかった時、すぐ承知しました。」
(『金儲け未来学』)
この半自伝の連載を邱さんは次のような言葉で結んでいます。
「雑誌としては『邱センセイの歩いてきた道を書いてもらえば、
それがそのままお金儲けの秘伝公開になるんじゃないか』と
いう狙いがあってのことだと思うが、
私自身としては、小説家や文明批評家や随筆家としての私と
『お金儲けのセンセイ』を何とか結びつける方法を
考えださなければならない立場にあった。
私が直木賞をもらったのが昭和31年の2月で、
私が『中央公論』に連載して
全八巻の絵入りの単行本にして出した
『西遊記』の最終巻が出版されたのが
8年前の昭和38年である。
二十代の青年たちから、
『へえ、小説をお書きになったこともあるんですか』と
きかれるのも無理はないのである。
もうひとつ私は青春の賭けに負けた失敗者である。
『お金儲けの神様』とはその往生したようなものである。
だから、私は自分を成功者などとは少しも思っていないが、
しかし、自分の理想を実現できなかった人にとっては
励みになる面があるかもしれない。
かつて世界的な大富豪であるポール・ゲティがその著書
(『生きることの価値』)のなかで
『人はいちばんやりたいと思っていることを
いつでもできるとは限らないが、それに代わる適当なものを選び、
それに適応できるものだ』という意味のことを述べている。」
(『私の金儲け自伝』)
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