Qさんの本を読むのが何よりスキ
という戸田敦也さんがQライブラリーのガイド役をつとめます

第90回
ドライ・クリーニング業と砂利採取の商売もはじめました

邱さんはコンサルティング業を開業しながら、
自らアメリカ式のセルフサービスの
ドライクリーニング業を始めました。
邱さんがコンサルタントをしていた企業に、
石油ストーブメーカーがあり、
その会社の社長と新商売について話す中で、
アメリカでドライクリーニングが流行っていることが話題になり、
その石油ストーブメーカーと邱さんと
アメリカの会社からクリーニング機械を売る代理権を
委託されている商社の三者で共同出資し、
クリーニングのテスト・ショップをやろうという話になりました。
ところがいざ実行ということになると、
邱さんひとりになってしまいます。

邱さんは当時住んでいた都立大学駅の近くの店舗を借りて
一件目のセルフサービス・ドライクリーニングの店を開きました。
この店の経営には邱さんの奥さんが当たることになりました。
最初はお客が集まらなかったのですが、
4ヶ月もすると注文が出てきて、
邱さんはこの都立大学駅からはじまって
鍋谷横丁、荏原中延、東松原、大森、馬込銀座、長原、深沢へと
8か所で店を開くようになりました。

このドライクリーニングのチェーン店づくりと同時進行で、
邱さんは栃木県の鬼怒川べりで砂利屋を始めました。
知り合いの政治家が鬼怒川べりに
砂利の採取権を持っているという男を連れて
邱さんのオフィスに現われ
「この人を助けるために、私は300万円ほど出してあげているが、
もうこれ以上は資金が続かない。
あなたが面倒を見てくれませんか』
(『私の金儲け自伝)と邱さんに依頼してきたのです。

邱さんのコンサルタント先の会社に、
砂利採取機をつくっている会社があり、現場を見てもらうと、
「これなら相当、埋蔵量もあるから共同でやってもいいが、
自分と向こうは直接の面識がない。
センセイが一枚かんでくれるなら」(同上)とのことで、
俄か勉強の結果、これはひきあうぞという結論が出て、
邱さんは砂利採取会社を設立し、資本金の5分の2を
砂利採取機をつくってくれるコンサルタント先の会社に
出してもらうことにしました。

こうして作家がクリーニング屋をやり、
また砂利屋をやるという前代未聞のことがはじまりました。
これら事業の顛末は『私の金儲け自伝』のほか
『失敗の中にノウハウあり』に書かれていますが
こうした邱さんの実地体験は、
その後の作品に新鮮でかつ豊かな話のネタを提供すると同時に、
「邱さんは実行力があり
言行が一致しているまれな経済ジャーナリスト」
と世間の人が評価することになっていきます。


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2002年11月25日(月)

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