第89回
コンサルティング業をはじめました
邱さんは株で儲けたお金でビルを建て
そのビルでコンサルティング業をはじめました。
「一軒目のビルが完成したとき、私はその2、3階を
自分の事務所にして、コンサルタントの商売を始めた。
どうしてコンサルタントの商売を始めたかというと、
株式評論を書くためにいろいろな企業を訪れ、
その経営者たちと話をしているうちに、
産業界の盲点みたいなものに気づいたからである。
私が知り合いになり、その後おつきあいを願うようになった。
実業界の人たちは、いずれもその業界では
すぐれた才能を持った人たちであるが、
それらの人々の知識は
自分たちの事業および商売がたきに集中され、
それ以外のことについては知らないことが多かった。
ところが、事業というものは同業者から習うことよりも、
異業種の人たちから習うことのほうが役にたつ。
同業の先覚者の真似をしても、
その人の後塵を拝するだけであるが、
先覚者といわれる人たちはどこで勉強しているかというと、
ほかの業種の人からあれこれヒントをえているのである。
その点、私はあらゆる人たちと接触があり、
工場や商売のやりかたについても数多く見ているので、
私と話をしていると教えられることが多いから、
ぜひわが社の顧問になり相談役になってくれないか、
と頼まれることが多くなった。
確か一番はじめに、
私に『顧問を委嘱す』という辞令をくれたのは、
当時、理研光学という社名だったリコーの社長の
市村清さんだったように思う。」(『私の金儲け自伝』)
邱さんはこの新商売をはじめるにあたり、
技術革新の方向についてレクチャーを受けた吉村昌光さんを
パートナーに選びましたが、吉村さんは夜行性の人だったようで、
その協力を得ることはできませんでした。
しかし、そのことはあまり関係がなかったようで
邱さんのコンサルタント業は繁盛します。
「私のオフィスは、自分の商売を
どういう方向に持っていこうかについて
相談したい人たちでいつもいっぱいになった。
株式の公開をしたい人、新規の事業を始めたい人、
発明品の企業化をするために資本家を求めている人、
会社を売りたがっている人、
時価発行で公募して資本をつくりたい人、
片腕になってくれる経営者を求めている人などで、
私のオフィスは産業人のよろず相談所になり、
社長や専務といった地位の高い人が
私の意見をきくために押しかけてきた。」
(『私の金儲け自伝』)
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