Qさんの本を読むのが何よりスキ
という戸田敦也さんがQライブラリーのガイド役をつとめます

第76回
「実地でやるのでなければ説得力のある文章は書けないぞ」

昭和34年の6月のことですが株式投資のことを書くことにした
邱さんはその準備としてそれまで読んだことのなかった
日経新聞をとって、相場欄を入念に読みはじめます。
「私はたまたま小説家から出発したので、
これから株について執筆したいと思ったとき、
自分で実地にやるのでなければ、
説得力のある文章はかけないぞとすぐ思った。
そこでまず株ともっとも関係の深い『日本経済新聞』を
とるようになり、約3ヶ月間、隅から隅まで丹念に読んだ。
初めてこの新聞を手にとったときずいぶんヘンな新聞だと思った。
しかし、これも勉強のうちと考えて、
私は新聞の株式欄や経済の囲み欄を根気よく読んだ。
なかでも、夕刊の一番おしまいのページに
株式相場の観測欄があって、
毎日、証券会社の株式部長や銀行の調査部長や
生命保険の財務室長や経済評論家の人たちが
かわるがわる書いている。
この欄を読むたびに、私は
『この人たち、こんな偉そうなことを書いて、
自分でもその通り実行しているのだろうか。
ひょっとしたら、口先ばかりで、株の儲けなんか全然なく、
原稿料だけが唯一の収入だったりしているのではないか』と
皮肉な受け取り方をした。」
(『私の金儲け自伝』)

それから3ヶ月たって邱さんは実際に株を買う行動に出ました。
「日本経済新聞の株式欄を丹念に読み続けたあと、
私は実地に株を買う気を起こした。
しかし、株屋には知り合いが一人もいなかった。
姉に紹介してもらおうと思えばできないことでもなかったが、
前垂れ気質の古いタイプの株屋さんだったし、
なんとなく肌合いが違うので、自分でさがすことにした。
あとになって考えてみると、これはとんでもない筋違いだが、
私は自分がお金を預けていた都市銀行の自由が丘支店に
支店長をたずねて行った。

『実は、株に興味を持つようになりましてね、
株を買ってみたいと思うのですが、支店長さん、
この近所に知り合いの株屋さんはありませんか?』
『ほお、これはまた珍しいお話ですね』
と支店長さんは目を丸くした。
支店長さんは私を小説家と思っていたし、
小説家が株に興味をもつことなど
きいたこともなかったに違いない。
私が事情を説明すると、支店長さんはすぐ納得して、
『このすぐ先を曲がった郵便局の斜め前に
小さな証券会社があります。
私の親戚筋の者がそこで働いていますから、
そこへおいでになったらいかがですか?』
と目の前ですぐ電話をかけてくれた。
私はその足で郵便局の斜め前にある証券会社の
自由が丘出張所に出かけて行った。
支店ですらない小さな出張所は角の煙草屋の貸し家を借りた
質素な店構えの店であった。
郵便局の側からその扉を眺めながら、
私は一瞬、どうしたものかとためらった。
株で身ぐるみ剥がれて一家離散したような話は
子供の時からよくきかされたし、小説のテーマにもなっている。
自分も、もしかしたら、
そういう目にあわされるのではないかとためらった。
しかし、次の瞬間、
私はもう証券会社の扉を押して中に入っていた。
『やあ、邱センセイですね。お待ち申しておりました』
と、山田という名前の出張所長さんは
緑の黒いロイドメガネの奥から微笑を覗かせながら、
私に挨拶をした。
私は自分の運命は自分でひらくべきものであり、
うまくいっても行かなくても、
自分のせいであって、他人に転嫁すべきものではない、
と自分に言いきかせながら、相手のすすめる椅子に腰をおろした。
(『一家に一台火の車』)

自分の考えたことを実際に実行し、その結果をふまえて
文章を書いたり人前で話をしていくという邱さんのスタイルが
よく表れていますね。


←前回記事へ

2002年11月11日(月)

次回記事へ→
過去記事へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ