第75回
日本人の生活がめだってよくなりつつあることに気づいた
邱さんが池島信平さんのすすめで「日本天国論」を
文藝春秋に発表したのは昭和31年4月のことです。
この作品で邱さんは日本という国の良さを買っていますが、
邱さんはその3年後の昭和34年ごろ、
日本が経済的に発展することを予感したといいます。
「日本天国論」を書いて「しばらくして何かのパーティーで
中国文学者の奥野信太郎慶大教授にあったら、奥野先生に
『邱さんの日本天国論はパラドックスとして読みましたよ』と
挨拶された。
当時のほとんどの日本のインテリは
日本はアメリカの文化的植民地になってしまった。
もうどうにも仕様のない地獄だと信じ込んでいた。
しかし、私は決して皮肉を込めて日本を天国扱いしたわけではない。
日本人は貧しい生活の中で一所懸命働いていたし、
その割に汚職も少なかったし、治安も決して悪くはなかった。
だがその時点では、
私はまだ日本経済の高度成長を予測していなかった。
私が、もしかしたら日本は経済的に大発展するのではないかと
思い始めたのは3年たった昭和34年になってからのことである」
(『日本よ香港よ中国よ』平成9年)。
この昭和34年ごろに、邱さんは金銭問題をとりあげ、
具体的にはサラリーマンが関心をよせるであろう
株式投資について評論を書こうと考えました。
「興味の対象をかえて、金銭面に目を向けるようになると、
もともと経済学の勉強をしたこともあり、
香港で実地で金儲けをやったこともあったから、
日本経済の新しい動きがいやでも目につくようになった。
私がその頃、すぐ気づいたのは、
日本人の生活がめだってよくなりつつあるということであった。
私のように、日本人の生活に対して
第三者的な視角を持つ立場の者から見ると、
日本人の物質生活面は急速に改善される方向に
向かっているとしか思えないのである。
簡単にいうと、戦後、食糧不足に悩んだ時期がすぎ、
続いて衣料品の不足がほぼ充たされる時期にさしかかっていた。
サラリーマンが月給の範囲内で買えるものは
まず買いつくされてしまった。
しかし人々の所有欲を刺激する商品は、
洗濯機、冷蔵庫、テレビ、自動車、クーラー、家、別荘
といったぐあいに、いくらでも次々とひかえている。
これらの物品を手に入れるためには
収入をふやす以外に方法はない。
収入をふやす方法は事業主なら、
自分の事業に打ち込んで業績をあげればよいが、
日本人の大半はサラリーマンであり、定収入で生活を立てている。
定収入しかない者が金をつくる方法はまず一定額を節約して、
貯金をし、ついで貯金をふやす工夫をするよりない。
それにはさしあたり、
株式投資が一番手っとりばやい方法であろうと私は考えた」
(『私の金儲け自伝』昭和46年)
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