第68回
食べ物随筆の第2集は『象牙の箸』
「芝居は幕切れが大切で、人間は死際が大切だと言われている。
連載物にも同じようなことが言えるような気がして、
前に『あまカラ』誌に書いた『食は広州に在り』が
単行本一冊分の厚さに達した時、
「この辺で筆を折るのが身のためと考えた。
ところが『あまカラ』編集長水野多津子さんは
どうしても死なせてくれない。
そんなこといったって『ない袖はふれませんよ』と答えたら、
『袖と言うものは二つあるものです。もう片方のを振ってください』
とやりかえされた。
袖の下は風吹くばかりと書いたはずだけれども、
風でもよいと言われれば、いくらケチな私でも
そんなものまで出し惜しみするわけに行かない。
潔く承知することにした。
その代わり、今度の随筆は専ら風任せであることを
予めご承諾願いたい。」(『象牙の箸』)
『あまカラ』誌に書いた『食は広州に在り』の
いわば後編として執筆した『象牙の箸』の冒頭の部分です。
連載を終えて中央公論社から出版されました。
『食は広州に在り』は龍星閣という個性的な本屋さんによって
立派な装幀の本として世に出ましたが、
『象牙の箸』も負けず劣らずの凝った装幀です。
「『象牙の箸』を中央公論社が出版するときも、
内容が内容だからといって、
武井武雄さんが版画でこった造本をしてくれた。
駆け出しの物書きしては
最初からつくりのよい本を出す幸運にめぐまれた」
(邱永漢自選集第9・『食は廣州に在り』)。
この作品は邱さんにとって
向田邦子さんを思い出す作品ともなりました。
「向田邦子さんが我が家へ食事に来られた時、
『私は"象牙の箸"の愛読者で、文章を丸暗記してますよ』
と言われた。
その晩、同席したお客は、マンズワイン社長の茂木七左衛門さん、
吉兆の湯木昭二朗夫妻、
それに食味評論家の薄井恭一さんであった。」
(Qブックス版『象牙の箸』あとがき。昭和57年)
約1ヵ月後にそのときの礼状がブラジルを
旅行中の向田さんから届きました。
「とても喜んでいただいた様子だったので、
帰ってきたらまた招待しようと思っていた。
ところが、それから1ヶ月もしないうちに、
向田さんは、台湾に取材旅行に出かけ、
台北から高雄に向かう飛行機の事故で
不帰の客となってしまった」(同上)。
この『象牙の箸』は平成6年に
ベストセラーズ26として再版されました。
邱さんはそのまえがきでもこのことに触れ
「人の生命は短いが、あの時、向田さんの使った象牙の箸は
いまも我が家のお客様たちに使われている」。
と結んでいます。
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