第66回
エッセイの第2集は『オトナの憂鬱』です
邱さんがあちこちで文章を発表する場面が増えてきました。
昭和33年に『耳をとらなかった話』というエッセイ集を
発行しましたが、それから以降約1年半の間に新聞、雑誌に
書いてきた文章を集め、『オトナの憂鬱』というエッセイ集
が光風社から刊行されました。
この本にはタイトルになった題名のと同名のエッセイが
収録されています。
その文章についてあるところで邱さんは書いています。
「『オトナの憂鬱』という文章を書いたことがある。
それは近来とみに天下の大道を横行している
『コドモの反抗』ばやりに対する
些かのレジスタンスもあってのことである。
私の論旨は、子供の頃、大人は非常に分別ありげに見える、
17、8歳の兄ちゃんだって小人の目にはけっこう分別臭く映る、
ところが自分が20歳になっても一向に分別ができないので、
これは年の若いせいで30歳になっても、
一向に分別ができないので今度は40歳に期待する。
ところが40歳になっても
一向に分別ができたらしい形跡が見えない。
ただ40歳が20歳や30歳と違うところは、
これまで何回も自分をダマしてきた関係上、
もうこれ以上ダマすわけにはいかないこと、
つまり無分別は実は年齢と関係ないことに
気づかざるを得ないことである。
『四十不惑というけれども、不惑とはこのことなんだ』と
嫌々ながら納得させられるのはいかにも憂鬱なことだ、
というのが私の文章のあら筋である。
ちょうどその文章を書いた直後に、
ある会合で井伏鱒二先生と偶然、
向かい合って坐るめぐり合わせになった。
話が歳月のことになり
『月日のたつのは早いものですな』ということから
『年齢と分別、無分別は関係がないことを知るのは憂鬱ですね』と
私がクチバシを入れると、
『いやあ、年とともにますます無分別になっていくよ』と
井伏先生はおっしゃる。
私はまだそんな年齢に達していないので、
実感としてそれを感じることはできないが、
あるいはそうかも知れないと思って思わず苦笑を禁じえなかった。」
(『キチガイ日本』)
このとき文章を書いたときの邱さんは34、5歳ですが、
『オトナの憂鬱』は年をとっても格別、分別がつくわけでもないことに
気づいた頃に書いたエッセイ集と言ってもいいでしょうか。
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