第65回
主人公に「背水の陣」をしいた生き方を選ばせています
『ズルきこと神の如し』で邱さんは主人公に
「背水の陣」をしいた生き方を選ばせています。
「(『ズルきこと神の如し』は)
私が昭和30年代のサラリーマンの置かれた環境を
頭の中に描いて、勝手につくったお話であるから、
現実にありそうもないことが次々と展開される。
たとえば、会社の中で社長から認められて
異例の抜擢を受けたサラリーマンは、
ほとんどいないのがフツーであろう。
まして何のあてもなしに、
自分を失業の中に突き落とすようなことはまず考えられない。
しかし『背水の陣』という言葉もあるように、
自分を逃げ路のないところに追い詰めることによって
活路をひらくことは、リクツとして考えられることであるから、
私は、小説の主人公にその道を選ばせた。
つまり『もしこんなことができたら、
どんなにか胸がすくだろうなあ』と
サラリーマンたちが思うことを、
物語の中のヒーローにやらせたのである。」
(『貧しからず富に溺れず』)
この小説の主人公、妻木は小説の終幕で語ります。
「妻木は、自分がどちらかに同情するよりも、
自分がこの闘争の中に巻き込まれなくてよかった
という気持の方が強かった。
本当に有能な人間なら、
あんなところで背水の陣をしいたりしない。
人生、この道が駄目なら、あの道がある筈だ。
それを一つのところにしがみついて血相を変えるのは、
脳のない何よりの証拠じゃないか。
そう思うと妙に満ちたりた気持になってきた。」
(『ズルきこと神の如し』)
『人生、この道が駄目なら、あの道がある筈だ』というフレーズは
その後の邱さんの文章にしばしば見かけるフレーズです。
さて、この作品は読者にどう受け止められたのでしょうか。
「この小説が、はたしてサラリーマンたちの
ストレスの解消に役立ったかどうかは私にはわからない。
ただ私の原稿を買った通信社の社長に言わせると、
連載中、ただの一度も新聞社からクレームはつけられなかった。
一冊の本になって東都書房というところから出版されたら、
戸塚文子さんから
『あの本読んだばかりに途中でやめられなくなって、
とうとう徹夜しちゃったわ』と挨拶されたから、
キャリア・ウーマンの戸塚さんには
あれこれ思い当たるフシがあったのかもしれない。」
(『貧しからず富に溺れず』)
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