Qさんの本を読むのが何よりスキ
という戸田敦也さんがQライブラリーのガイド役をつとめます

第57回
4番目の小説集『刺竹』が発刊されました

小説『濁水渓』、小説集『密入国者の手記』、
小説『香港』に継ぐ小説集として、直木賞受賞から
3年くらいの間に書いた作品を集めた『刺竹』が
昭和33年に発刊されました。
収録された作品は出版元の和田シズ子さんが選んだもので、
「毛澤西」、「首」、「長すぎた戦争」、「風のある日は」、
「見えない国境線」、「韓非子学校」、「刺竹」の7作品が
収められてました。

のちに邱さんが解説したところによると、
「毛澤西」は「香港の新聞売り子の生活を描いたもので、
香港にいたころ本当に毛澤西を名乗る子どもがいて
警察に捕まるたびに、新聞の社会面を賑わした。
『犬が歩けば尾は西に』みたいな話で中共政府にとっては
面白くないかも知れないが、私にとっては好きな小説の一つ」
(『邱永漢自選集第2巻・香港 刺竹』あとがき)です。

「首」は「首を斬られても生きていたという
広東地方の民話を土台にして書いた」(同上)作品です。

邱さんが台湾を去ったあとに、
荘介石が共産党に追われて台湾に入り、
台湾防衛のために徴兵制度を布くのですが、
「長すぎた戦争」は「台湾に連れてこられた国民政府の軍隊で、
分隊長が新兵の洗濯をして小遣い稼ぎをする話である。
日本の軍隊生活を体験した人たちが読むと、
腹を抱えて笑いころげるが、
これは本当にあった哀れな話」(同上)です。

「見えない国境線」は「香港の私の家の二階を借りて住んでいた
アメリカ生まれの老婦人とのその養女の
身の上話からヒントを得て書いた」(同上)作品で
「北京語のうまいアメリカ人だったが、中国人と結婚して、
中国語を喋っていても、良人が死ぬと、
厳然たる国境線が引かれてしまう」(同上)話です。

本の題名になった小説「刺竹」は
「共産党員になった青年を奥さんが自首させる話で、
台湾時代の私の友人の身の上に実際に起こったことである。
多分に私自身の心境や身辺を織り込んだ小説だが、
何度読み返してみてもその度に胸が痛くなる」作品です。
この小説は、檀一雄さんが
「この一作だけで、小説家としての才能を認める」
と語った作品です。

このほか「風のある日は」は中国人バイアーと
日本人娘の交情を描いた作品で、
「韓非子学校」は徳島県の一高校に起こったことを
素材にした作品です。
邱さんの初期の小説はきわめて政治色の強いものでしたが
ここに収録された作品では香港、台湾、中国大陸、日本と
さまざまな地域で逞しく生きる人達の姿が描かれています。


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2002年10月23日(水)

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