第56回
情報産業に従事する人間にとっては耳が重要です
それにしても『耳をとらなかった話』って
どういう意味なのでしょうか。
のちに書かれた 「耳をとった話」
(『食べて儲けて考えて』昭和57年に収録)
というエッセイがこの疑問に答えてくれます。
「私が小説を書きはじめた頃、ペンネームをどうするかという
問題にぶつかった。(中略)漢という字はもちろん、
中国史上最も重要な位置にある王朝の名前
だが、ほかにオトコという意味がある。
但し同じオトコでも好漢とか熱血漢とか
硬骨漢とかいった意味よりも悪漢とか痴漢とか変節漢とか
悪い連想を伴うことが多い。
漢という字から来るイメージはハンチングかぶって、
色眼鏡かけて、ふところにピストルかドスでも
かくしもった感じである。
凡そ国際都市香港に亡命をして、
東大出の肩書などサラリとふり捨て生きていくには
このくらいの面魂がなければとてもやっていけないと思ったので
『邱永漢というペンネームになおして下さい』と追っかけ
航空便を出したが、
時、既に遅く、表紙を刷ったあとなので、
表紙の表紙は丘青台、中身は邱永漢、
というのが私の処女作のぶざまな姿であった。
しかし、このペンネームにも問題があった。
当用漢字になれた若い人が邱という字を
どうしても読めないのである。
邸という字を書く人もあるし、ひどいのになると、
印という字を書く。
邱と丘はもともと同じ字で?(おおざと)は村という意味だから、
日本人の姓にのせば、さしずめ岡村とか村岡ということになる。
若い人が読めないのも困るが、
新聞社にも印刷会社にも活字がないのはもっと困る。
小説が雑誌に載っても、活字がないために丘という字に
どこかからおおざとをもってきて、あわててくっつけた跡が
歴然とした活字で
私の名前が印刷されているのである。
あまりにも度々、そういう目にあったので、
いっそ邱を丘に変えてしまおうかと思ったことがあった。
現に邱氏宗親会も、同じ姓として扱われており、
私の親戚のなかには、邱の字を名乗っている人もあれば、
丘を名乗っている人もある。
しかし、どうしても耳をとると別人のような気がして
ならなかったので、
そのことを私は「自分のような情報産業に従事する
人間が耳をとってしまったのでは困るからと書いた。」
(「耳をとった話」)。
邱さんのペンネームが決まるときの話は前にもとりあげましたが、
名前を「丘」でなく「邱」のままにしたことを
「耳をとらなかった」と表現していることがわかります。
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