第33回
檀一雄さんを慶応病院の一室に訪ねました
檀一雄さんは「リツ子・その愛」とか「リツ子・その死」とかの
ベストセラーを書き、のちに「火宅の人」を書いた作家です。
若い世代の人にとっては、いま女優として活躍されている檀ふみさんの
お父さんといった方が親しみを感じるかもしれません。
ついでにいえば、5年ほど前になりますが、作家の沢木耕太郎さんが
檀一雄さんの奥さんの回想記というスタイルで檀一雄さんの伝記小説、
『檀』(新潮文庫)を書き、話題になりました。
さて話を昭和29年に戻しましょう。
檀一雄さんに「濁水渓」を掲載した雑誌を送っていた邱さんのもとに
檀一雄から雑誌社に出版の世話をするから来てほしいとの連絡が入りました。
邱さんは夢かと喜び胸おどらせ、挨拶のため石神井公園の檀邸を訪ねました。
檀さんは不在で、毎日毎日いつ檀さんは帰ってくるのだろうかと待ちました。
ところが8月はじめのある日の朝日新聞の夕刊を開くと
「檀一雄、奥多摩で石にあたって重傷」
という三面記事が目に飛び込んできてびっくりしました。
次の日、邱さんはおそるおそる慶応病院特別病棟の特等室を訪れ、
入院中の檀一雄に初対面の挨拶をしました。
檀氏はこれまでの事情を聞き「濁水渓」の出版については
もう現代社という出版社の社長に話しをつけてあると言いました。
ほかに書いたものがあるか聞かれたので、邱さんは
即座に「敗戦妻」、「客死」ならびに「検察官」と3篇の小説を出しました。
「敗戦妻」、「客死」は香港在住中に書いた作品で、
「検察官」は「濁水渓」に続いて書いた作品です。
2、3日してからまた病院に檀さんを訪れると
檀さんは
「小説は全部読みました。
君はすぐにも小説家になれます」
と太鼓判を押してくれました。
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