第34回
邱さんの「貴人」は檀一雄さんです
流行作家の檀一雄さんから
「君はすぐにも小説家になれます」
といわれ、邱さんの心は高鳴ったに違いありません。
邱さんは足繁く病院に通って、入院中の一ヶ月あまりの間に
檀さんに多くの小説を読んでもらいました。
中でも檀さんは「刺竹」という短編を手放しで誉め、
「この一篇だけで、君の小説家としての才能を認めます。
君は百万円作家になれないけれど、十万円にはすぐなれます」
と言いました。
「日本人は、究極において日本的義理人情にしか、興味を示さないから、
君のような小説では新聞社が受け付けないだろう。
もっとも、それは文学としての評価とは何の関係もないことだけれど」
とも言いました。
原稿が全く売れない頃のことですから、邱さんは天にも昇る気持ちでした。
檀一雄さんは病院を退院した際、石神井公園の自宅に帰る途中、
新潮社を訪れ「新潮」の編集者に邱さんの原稿を売り込んでくれました。
また「小説公園」にも「文学界」にも口をかけてくれました。
のちに邱さんはこれから世に出る若者に「貴人を探せ」と
と言うようになります。
たとえば『野心家の時間割』(昭和)59年という作品で書いています。
「『貴人』とは身分の高い人のことでなくて、
自分の手引きをしてくれる人のことなのである。」
「『貴人』といわれる人は、
ふだんおしゃべりをしたりしている友人のことではない。
自分に役に立つ、自分を引き立ててくれる人だから、社会的地位も
自分より高く、知識や経験や財産を自分より多く持っている人である。」
「いずれにしても、そういう人は自分の目上の人であり、
多くの仕事を抱えた人であることは間違いないから、
その人に認めてもらうのに、最初の第一印象が大切である。」
「『貴人』に最初に出会う時間は、
おそらく月が太陽に重なる日食の時間ほどの時間もないだろう」
「したがって、短い時間に、核心をついて、問題の提起をし、
自分の言いたいことを言える訓練をしておく必要がある。」
この文章を書くとき、邱さんは檀一雄さんに初めて挨拶した頃のことが
脳裏をかすめていたのではないでしょうか。
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