第31回
邱一家を乗せたベトナム号が横浜港に着きました。
邱一家を乗せたフランス郵船ベトナム号が4月15日、
横浜港に到着しました。
港では姉夫婦、弟夫婦、叔父、友人の兄で文藝春秋社の社員、
薄井恭一さんらが出迎えました。
薄井恭一さんといえば、
のちに「東京いい店うまい店」の共同執筆者の一人として、
また「豆腐屋の喇叭」の筆者として活躍される人ですが、
この薄井さんから邱さんは「竜福物語」が「オール読物」新人杯の選から
もれたことを知らされました。
はじめて出した作品が最後の5編のなかに残ったわけですから、
このことは邱さんにとって悔しがるほどのことではありませんでした。
日本を訪れた第1の目的が長女の病気の治療でしたから、
さっそく国立第二病院(現、国立病院東京医療センター)に
長女を連れて行き、一週間に一度治療を受けに来るよう言われました。
その足で自由が丘駅行きのバスに乗って終点まで行き、
不動産屋に駆け込みました。
不動産屋さんの案内で、隣の九品仏駅まで行き、
近くで一戸だての家を借りることにしました。
翌16日、 西川満さんの案内で長谷川伸先生が主宰する
新鷹会に出席し、席上「客死」を朗読しました。
挨拶を促されましたので、邱さんは
「東京に一、二年住む間に文学の修行に全力を投入するつもりですが、
芽が出なければ香港に舞い戻るつもりです」
と話しました。
邱さんにとっては作家といっても特別な職業でなく生活をするための
一つの職業に過ぎません。
しかし、日本人の感覚では作家は難行、苦行の末に
時間をかけて獲得するものです。
「生意気だ」と陰口をたたかれました。
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