Qさんの本を読むのが何よりスキ
という戸田敦也さんがQライブラリーのガイド役をつとめます

第30回
30歳からの旅立ちの様子は3冊の本に伝えてもらいましょう

邱さんの30歳からの旅立ちの様子は3冊の本に案内してもらいます。
一冊は半自伝作品『私の金儲け自伝』(昭和57年)です。
この作品は邱さんが作家になり、その後「金儲けの神様」と呼ばれる
ようになったいきさつを説明してくれる作品です。
徳間書店から第一回目の全集が出されることになった
46歳のとき執筆し、出版されています。
そして58歳のとき、その後の活動が補足されて、再版されています。
2冊目の本は『邱飯店のメニュー』(昭和58年)という本です。
「邱飯店」とは邱さんが自宅に招いて提供したご馳走のことです。
この本は邱さんが招いた文人や企業家たちとの交流記です。
さまざまな分野で活躍している人たちとの交遊を通して
邱さん自身の活動が浮かび上がってきます。
3冊目の本は『失敗の中にノウハウあり』です。
この本は「『金儲けの神様』が儲けそこなった話」という副題が
ついていて邱さんの失敗の話ばかりを集めた本です。
邱さんの活動を追う上で欠かすことのできない作品です。
このうち、『金儲け自伝』と『失敗の中にノウハウあり』
に書かれている文章をこれまでに少しばかり引用してきました。
これら2冊の本に『邱飯店のメニュー』を加え、
これら3冊の本を参考にしながら、
日本に舞い戻って作家業に挑む邱さんの姿と
努力の結晶である作品を追っていくことにしましょう。
ところで、
邱さんが郵便小包で大儲けたお金はどこに行ったのでしょうか。
当時、日本の相模原にある米軍のキャンプ近くに、米国の軍人が家族を
呼び寄せて住む住宅がなく、不便に感じている人が多いとの話が
義兄から入りました。
邱さんも「それがいい」と応じ、稼いだお金のうち、
自宅の購入に回った以外のお金は、
この相模原周辺の土地の購入に回すことになりました。
ところがその直後、姉夫婦のところにチューインガムの製造工場を
引き受ける話が舞い込み、邱さんの資金はそちらにまわされることに
なりました。
このチューインガムを製造する会社は、10年存続しましたが
残念ながら負債を負って倒産し、帰ってこなくなってしまうのです……。


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2002年9月26日(木)

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