第29回
一家をあげて香港から日本に向かうことになりました。
邱さんの最近作の一つに『いい仕事、見つかりましたか』という
著作があります。
仕事を見つけることが難しくなっている時代傾向を反映する作品ですが、
今からから48年前、30歳であった邱さんは
次の仕事を探している人でした。
香港でパパイアを栽培することを考えたし、いっそのこと香港を脱出し
セレベス島に行くか、あるいはボルネオ島にわたるか、
はたまた日本に舞い戻るか、海の向こうで働くプランも考えました。
こうした課題に決着をつけたのは長女の世嬪さんの病気でした。
生まれたばかりの世嬪さんは
「ひょっとしたら助からないかもしれない」
といわれるような病状にあり、
邱さんは台湾出身の知り合いの医師から
「香港の医者は金儲けには一生懸命だけれど、病気の治療には
それほどでもありません。日本のお医者に見てもらったどうですか」
とアドバイスを受けました。
たまたま東京には邱さんの姉さんが住んでいます。
後に料理研究家として活躍する臼田素娥さんです。
この姉さんの奔走で、日本の病院で世嬪さんが
治療を受ける目処がつきました。
治療には1年ばかりの通院が必要とのことです。
もし、日本に1年ばかり釘づけになるのであれば、
この間に、作家としてやれるかどうか試してみるか、
ということになりました。
当分の間、お金が入ってくる見通しがありません。
その間のお金は、香港の家を貸すことでまかなうことにました。
長女の病気の治療を第一の目的とし、
第二にひょっとしたら作家になれるかもしれないという目的をもって
邱さんは奥さんと長女の3人で日本に移ることにしました。
昭和29年の4月、邱さんたち3人は
奥さんの両親、兄弟に送られ、
香港、九龍の馬頭からフランス郵船ベトナム号に乗り込みました。
邱さん三十歳の時のことです。
この約四十年後に邱さんが書いた
『わが青春の台湾 わが青春の香港』(平成6年)は
一家が日本に向かって香港を離れるこのシーンで終わっています。
ここから先の邱さんの活動は、また別の本に伝えてもらうことにしましょう。
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