Qさんの本を読むのが何よりスキ
という戸田敦也さんがQライブラリーのガイド役をつとめます

第17回
国連に「台湾で国民投票を実施するための請願書」を提出しました

邱さんは翌日曜日、草山温泉を降りて、
草案を書き始め、3日のうちに草案を書き上げ、
荘要伝に見てもらい、そのあと捨てました。

1948(昭和23)年、9月のある日、
邱さんは銀行には縁談と称して1週間の休暇をとり、
家の人にはもっと南の方に行くと話して
台南の飛行場から、密かに香港に飛びました。

香港に飛んだ邱さんは
廖文毅氏の出迎えを受けました。
廖文毅邸近くのアパートで荷解きをしたあと、
昼食のため、香港島浅水湾の
リパルス・ベイホテルに案内されました。
香港の空気が台湾のそれとあまりに違い、
邱さんは
『船底の暗闇から一等のデッキに出てきたような錯覚』
に陥りました。

その日から焼いて捨てた請願書の草稿の復元に打ち込み、
二日で草案を復元し、
廖文毅さんが二日かけて英文に書き直し、
そのあとアメリカ総領事館を訪問しました。
独立運動担当の副領事が、
廖文毅さんの原稿を本物の英文に直す作業を手伝ってくれ、
『台湾再開放同盟』、
『台湾独立同盟主席』のサインをして、
香港到着後6日目に国連事務総長あてに、
『台湾の将来の地位を決定するための国民投票を要請する請願書』
を送り出しました。

邱さんはその翌日、香港から台南飛行場に戻り、
なにくわぬ顔をして、台北の職場に戻りました。
1週間の滞在で受けた香港の印象が強烈で
何をみても「うわの空」だったそうです。


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2002年9月13日(金)

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