Qさんの本を読むのが何よりスキ
という戸田敦也さんがQライブラリーのガイド役をつとめます

第8回
学部を越境して辰野隆先生のフランス文学を聴講しました。

これから先も、しばらく、
『わが青春の台湾 わが青春の香港』に
書かれていることを導きの糸として、
青春期の邱さんの足跡を辿っていくことにしましょう。

大東亜戦争がはじまった翌年の1943年(昭和17年)の10月に
邱さんは東大経済学部に入学しました。
入学した当初は、ひととおり時間割どおりの授業に出席しました。
講義と講義の間、安田講堂前の芝生に寝ころがり、
他校から入学してきた同期生たちと談笑しました。
その中には一高から入学した人もいれば、学習院から入学した人もいます。
話をしてみると、一高出の人も学習院出の人もさして差はなく、

「一高、東大といっても、まあ似たようなものだな」

と、タカをくくるようになりました。

一年もたつと、経済学部の講義にあきあきしてしまいました。
毎回出席する講義は北山富久二郎先生の「財政学」だけにとどめ、
ほかの講義は、試験対策のため学期末試験が近づくころに
講義に顔を出す程度で、
たいていは友人たちのノートを借りてすませました。
邱さんが、ほかに興味を持ったのは、
法学部の南原繁教授の「政治学」と
文学部の辰野隆教授の「フローベル研究」です。
特に辰野教授の講義については

「あの強烈な軍国的ムードの中で
 わざわざ『ボヴァリー夫人』という姦通小説の講義を、
 それも漫談まじりで続けられたのも、
 辰野先生のソフトながらも、
 きびしい抵抗ではなかったかと思う。」

と書いています。


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