第9回
「植民地」生まれの人間として辛酸を舐めました
邱さんは植民地、台湾からの留学生でした。
前に引用した文章のなかで、大学に進学する19歳の頃には
「差別待遇に慣れてしまった」
と書いています。
「植民地の子」としての差別待遇は大学生になってから
より強いものになって行きました。
邱さんが34歳の頃に書いたエッセイに
「一機会主義者の青春」(中公文庫『金銭読本』に収録)
という作品があります。
この作品によると、邱さんは中国人作家、魯迅の著作を読み、
魯迅が、「国民の健康よりもその精神の健康のほうが大切だ」と考え、
仙台医専(現在の東北大学医学部)の卒業間際になって、
学校を去ったことに刺激されました。
魯迅といえば、『阿Q正伝』とか『狂人日記』の作品が有名ですね。
それらを収録した短編小説集『吶喊』を読むと、日露戦争のさなか、
ロシア軍のスパイを働いたとされる中国人が手足を縛られ、
日本軍の手で首を斬られるところを、
大勢の中国人が取り囲んで見ている風景を写したスライドを魯迅が見、
医者の世界から文芸の世界に飛び込む決意をしたことが書かれています。
邱さんはこの作品に刺激されたのですね。
自分一人で中国の上海に渡ることを計画し、正式の手続きをする一方、
認められない時は密航することも考えました。
が、それを決行する直前に、憲兵隊に寝込みを襲われ、
「重慶政府(抗日戦のため四川省重慶に退却した国民政府)の
スパイではないか」
と嫌疑をかけられ、
留置場に連れていかれました。
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