第5回
大人の雑誌の同人に名をつらね、雑誌に寄稿しました。
邱さんが14、5歳頃に始めた個人雑誌『月来香』には、
私はまだお目にかかっていません。
ただ『鮮度のある人生』(PHP研究所)という本に、
この雑誌に投稿した先生の詩が紹介されていて、
どんな雰囲気の雑誌であったのかの匂いを感じとることができます。
「先生が書いてくれた七五長の詩は不思議なことに
五十何年たった今日でもよく覚えている。
麦の穂伸びてつややかに
廃墟はきびも生いにけり
我をたのめず滅びにし
人を思えば物憂しや」
そして三年生の頃には『文芸台湾』という大人の雑誌の
同人に名をつらね、新聞記者や学校の教師をしている連中と
肩を並べて雑誌に寄稿するようになりました。
「その頃書いた詩を古い雑誌から抜粋してきて、
私の文学作品を論評した人があって、
それを読んでいるうちに昔々のことを思い出した。
年譜を見ると、まだ十六歳の頃のことだから、
作品ももちろん未熟だが、それにしても生意気盛りの少年を、
あの頃の同人たちはよく相手にしてくれたものである」
(『鮮度のある人生』)
その同人たちの筆頭格が西川満さんという人です。
「十五,六歳の少年がこんな凝り方をしたのは、
当時台湾日日新報の学芸部長をやりながら、
日考山房という限定出版の会社をやっていた
西川満さんの影響によるものである。
西川さんのお宅にはよく押しかけて行って真夜中まで話し込んだ。
西川さんは恩地考四郎とか川上澄生とか、
柳宗悦とかいった人々と親交があり、
またウイリアム・モリスの信徒でもあったから、
内容よりも装幀に凝った。」
(『わが青春の台湾 わが青春の香港』)
恩地考四郎とか川上澄生とか柳宗悦とかウイリアム・モリスと聞いても
ピーンとこないという人がいるかもしれません。
インターネットで検索してみることをお勧めします。
新しい発見があるでしょう。
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