二十六、コックを雇って精神修養
お抱えコックをもつというのは、古きよき時代のゼイタクの一つであった。日本は戦後、世界的な金持ちの国になったが、富の分配が平均化したので、自宅にコックが抱えられるような大富豪はいなくなってしまった。また大陸では、お金持ちを目のカタキにして全部処刑するか、海に追い落としてしまったので、人民に奉仕するコックはいても、個人に奉仕するコックはいなくなってしまった。
ところが台湾へ行くと、古きよき時代の面影がホンの少しだがまだ残っている。コックを連れて歩く習慣は軍閥に多いらしく、兵隊の中に料理の心得のあるものもいるし、それを適材適所に使うとすれば、将軍の食事の面倒をみるということになる。しかも、軍閥の兵士は将軍の私兵だから、上司と部下の関係ではなくて、王様と家来、もしくは雇傭主と使用人という関係にある。だから、封建時代はいざ知らず、二十世紀になってからのどこの国の将軍も、群雄割拠時代の中国の軍閥のボスほど、ゼイタクな食生活を体験した人はいないのではないかと思う。
さて、台湾から帰ってきた私は、女房に、「もう僕たちもいい加減な年齢になったから、アクセク働いてもしようがない。何かほしいものがあったらいってごらん」ときいたら、「じゃコックを雇ってちょうだい」といった。西洋料理のコックでは口に合わないから長つづきしないけれど、中華料理のコックを台湾から雇って来て、少しうち風に訓練すれば、食卓も賑やかになるし、私も少しは楽ができる、と女房はいうのである。昔々、大倉喜八郎が中国からコックを雇ってきた話だとか、福島繁太郎・慶子夫妻がパリにいた時分にフランス料理のコックを雇っていたとかいう話を、雲の上の話みたいにきいたことがあるが、考えてみたら、いまの自分にできないゼイタクというほどでもない。日本の社長さんや文士の人たちは、銀座のバーに行って月に百万をこえる勘定を払ったりしている。私たちはそういう無駄使いはいっさいしないから、そのホンの一部をコックの給料にまわせばよい。ゼイタクとは要するに、一生の間に使うお金の配分をどうするかという問題にすぎないのだから、他人の眼には多少ゼイタクに見えても、自分も享楽し、妻にも楽をさせることができる。
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