二十四、西洋料理のコックを雇う
新しい家もできたので、つぎはコックを雇う番になった。よくお金ができると、宏壮な大邸宅を建てる人を見かける。たいていは貧乏人の出身で、「一朝、志を得たら」と、財力に物をいわせて、聚楽第のような家を建てる。それでも「心の最大満足」を得ることができれば、別にかまわないことであるが、大きな家は住んでみると、実に不便なものである。檀一雄さんにいわせると、そういう不便なところによさがあるんだというが、掃除をしたり洗濯をしたりする人にとっては本当に楽ではない。私たちは、大きな家にも小さな家にも住んできた経験があるので、家を建てるなら「コンパクトで機能的な家」だと思ってきた。だから家を建てるときも、そういう点を考慮して、改められる点はできるだけ改めるようにしたのである。
しかし、おそらくどんな人でも、その人に似合ったゼイタクの趣味の一つや二つはあるだろう。私の場合、さしあたりコックを雇うことであった。王侯貴族の邸宅に専用のコックがいるのはもとより珍しいことではない。レストランの歴史は、ヨーロッパにおいても、せいぜいこの数百年にすぎないから、専門の料理人はもともと身分の高い人の料理場にいた。中国の場合も、王侯貴族はもとより、大富豪や軍閥のボスたちでもお抱えのコックを使っている。清朝時代の末期に上海の金持ちが息子をロンドンヘ留学に行かせるのに、召使いからコックまで連れて行かせたというエピソードは数々残っている。
私の家では、これまでずっと女房がコックさんの役割をはたしてきてくれた。お手伝いさんを雇っても、ろくに料理のできない人ばかりだから、三度の食事はすべて女房が用意をすることになる。女房に楽をさせてやろうと思えば、専門のコックを雇うことである。少しゼイタクな話であるけれども、人間、何のためにお金をもうけるかといえば、使うためだから、少々くらいのゼイタクは許されてもよいのではないか。たまたま私の家に出入りする青年で、レストラン業に手を染めて成功しているのがいた。個人宅で働くコックはいないかと私がきいたら、「いますよ。すぐお連れしましょう」といって、三十歳前の西洋料理の若いコックを紹介してくれた。西洋料理のコックでは、とても朝昼晩食べるというわけにはいかないが、中華料理が食べたい場合は女房につくってもらえばよいし、女房としても半分くらいは手間が省けるようになるだろうと思ったのである。
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