二十一、〃違いのわかる男〃たちの話

『話の特集』という雑誌の建てなおしをやったことがある。事の始まりは、『話の特集』という、昔、菊池寛が名をつけた雑誌で、その通俗的な名前からは想像もつかないような、サイケデリックな(その頃は、そういう形容詞を知っている人も少なかったが)内容の雑誌を持って編集長の矢崎泰久君が、引越ししたばかりの石川台の私の家へ訪ねてきたことにはじまる。横尾忠則さんが表紙絵を描いた、びっくり箱からとび出してきたような雑誌に、小説を書いてくれ、という注文だった。
いまもって、私はどうして矢崎君が私に小説の執筆をたのむ気になったかわからないが、なんでも吉行淳之介さんか誰かにきいて、私のところへきたのだという。私は一見して、この雑誌にはつぎの時代を予感させるような新鮮さはあるが、採算にのらないだろうと思った。そこで、「お金はいくら持っていますか?」
ときいたら、
「オヤジが土地を売った金が、六千万円ほどあります」
と矢崎君が答えたので、
「それならしばらくもちますね」
と私は韻いた。普通私は原稿料はいくら払うつもりですかとききかえしたりするが、どうせ損をする雑誌だと思ったので、私は何もきかずに、三号目に「セールスマン日本一」という短篇を書いた。
しかし、「六千万円あります」というのは矢崎君一流のハッタリで、実際は九百万円しかなかったから『話の特集』はたちまち行き詰まって廃刊に追い込まれた。ただこの雑誌にはえもいわれぬ魅力があったので、大阪の印刷屋さんがスポンサーについて、間もなく復刊した。その復刊した何号かあとの雑誌を持って繍集部の女の子が、原宿に私が建てたばかりの新しい事務所に訪ねてきた。「なかなか、たいへんだろうなあ。矢崎君を励ましてあげなくっちゃ」と私はすぐお向かいのセントラルビルにある編集部に電話をして、ヒマがあったら、一緒に食事でもしないかと誘った。二週間ほどして矢崎君が見え、私はコープ・オリンピアにあるフランス料理屋に行って食事をした。これが私にとっては運の尽きみたいなものであった。

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