二十、大屋晋三とカ、カ、カのかあちゃん

私が経済界のことに首を突っ込んだのは、株式投資からであったが、そのうちに、企業のことから経営者のことにまで興味をもつようになった。『日本経済新聞』の「私の履歴書」とか、実業家の自伝他伝を盛んに読んだが、明治以後の日本の実業家の中で、私が一番心をひかれたのは小林一三さんであった。
小林一三さんは、人も知る阪急グループの創始者であるが、私が物書きとして一人立ちできるようになった頃はもう他界していた。しかし、小林さんのエピソードを私は実に多くの人からきいていたし、わけても小林さんの直弟子ともいうべき阪急グループの総帥清水雅さんからきいた話は圧巻だった。秘書として小林さんと行動を共にしていた清水さんは、内台航路に乗って台湾に行く途中、食堂でおいしいカレーライスに出あうと、「お前、このカレーライスのつくり方を習ってこい」と小林さんから命じられて、たちまちコックの白衣を着せられて、調理場で働かされた。また船に同乗していた台湾総督府の役人から、「台湾で子豚を集めて農家に委託養豚をさせ、成豚になったのを買いあげている」ときくと、「清水、内地へ帰ったら、すぐ子牛を農家に預ける方法を考えよ」と、なんでもやらされ、おかげで、鰻の飼い方から、ブラシの作り方から、ワイシャツの裁ち方に至るまで、なんでも覚えさせられ、デパートで売る商品のことならなんでもわかるようになったそうである。デパートを都心部からターミナルに動かしたのも小林さんなら、ライスの上にソースをかけて食べるソース・ライスを売り出したのも小林さんである。日本の実業家の中で、最も独創的な人を一人あげよ、といわれたら、私なら小林一三の名を少しの躊躇もなくあげるであろう。

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