しかし、文六先生のお見えになった三十四年三月二十六日の頃は私はまだ株の大先生でもなかったし、何十軒もビルをもつような大金持ちでもなかったから、もちろん、「バナナ」の主人公のモデルになれるような立場にはなかった。その晩は、読売新聞のほか、「バナナ」の単行本を出版することなっていた中央公論社の人たちにも同席してもらったが、食事の内容だけは、「バナナ」の主人公が中華料理店に注文するメニューよりもずっとよかったのではないかと思う。「バナナ」の中に出てくるメニューはどこかの料理屋のメニューを引き写したものだと思うが、日本で熊掌の料理はたとえ冷凍ものでもまず口に入らなかっただろうし、料理の出し方も、前後がおかしくなっているからである。
「バナナ」は残念ながら不発に終わってしまった。この一文を書くために、二十何年前、文六先生から贈呈された『バナナ』の単行本を読んでみたが(正直のところ、今度、はじめて読んだ)、やはり不発に終わる理由があるなあ、と思った。文六先生が何を狙ったか、その意図は私に理解できるが、日本的義理人情と異質のことを描いても、日本人はあまり興味を示さないし、まして華僑のボスなど第三国人と思っているから、生きる参考になるとは考えてもみない。また、日本人の妻をもらった台湾人の家庭生活や、華僑同士の葛藤については、予備知識に欠けているから、どうしても外から撫でただけで終わってしまう。文六先生の筆力をもってしても、二国間にまたがるカルチャー・ショックを見事に浮彫りにすることは至難の業に属するのである。
とりわけ、一口に中国人といっても、広東人と台湾人と浙江省の人とでは、風俗習慣も違うし、料理も違うし、言葉だってまるで通じない。「バナナ」の主人公は、広東をオリジンとする台湾人ということになっているが、台湾でいう広東人は、広東省に住む客家人のことで、横浜中華街の広東人とは、言葉はもとより、人種だって同じではない。文六先生はあとでそのことに気づいたらしく、あとがきの中で、「私は中国語をまるで知らず、万事、友人から教えて貰ったのだが、作中の呉一家は、台湾出身であるから、本来なら、その地の言葉に従うべきであるが、私は日本で普及している北京読みの方を採った。(中略)結局、私は、大先輩近松門左衛門が"国姓爺"を書いた例に倣うことにした。台湾の人や、中国語をよく知ってる人には、滑稽であろうが、私には、北京語も、広東語も、台湾語も、問題でなく、ワンタン、シューマイ的中国語で、事足りているのである」と書いている。ちょっと居直った感じがしないでもないが、相当手をやいた形跡が随所に残っている。
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