嶋中さんが私の家に、『中央公論』の編集者ともども見えたのは、「台湾人を忘れるな」の翌月、即ち「サムライ日本」の第一回連載が『中央公論』に載った当日である。中央公論社は、深沢七郎とか庄司薫とかいった立派な作家も世に送り出しているが、それ以上に社員の中から作家たちを輩出させている。当日のメニューにはのちに直木賞をもらった綱淵謙錠氏の名前も見えているし、その次の十月十八日には、女性ではじめて『婦人公論』の編集長になった三枝佐枝子さん、いま鉄道旅行のルポ作家として活躍をしている宮脇俊三さんの名前もある。私の原稿の担当をしてくれた人たちが編集局長になったり、有名作家になったりしたのだから、気がついたら、こちらもいい加減な年齢になってしまっていたとしても不思議ではない。
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