活字になった自分の第二作「濁水渓」を何度も読みかえしながら、私は雑誌と自分の小説の内容との間に一種名状しがたい違和感を覚えた。長谷川先生をはじめとして、周囲の人はたいへん親切に面倒を見てくれたし、激励の言葉もあまたちょうだいしたが、私の書く物と、すぐにも歌舞伎や新国劇の舞台にのせられる股旅物の世界は、なんとも世界が違うような気がしてならなかった。「知」と「情」の違いといったら叱られるかもしれないが、もし文学に「知性の文学」と「情感の文学」があるとしたら、その違いとでもいったらよいだろうか。私が考えている文学と、私の周囲にいた人たちの文学には異質のものがあって、それが私に苛立ちをあたえるので、私は誰かに救いを求めたい気持を禁ずることができなかった。
私は、香港へ帰るブレジデント・ラインの船の中で読んだ檀一雄さんの小説のことを思い出していた。まさか自分が小説家になろうとは思っていなかったので、檀さんとは知り合いになりそびれてしまったが、檀さんと郭君とは親しくつきあっていた様子だから、檀さん自身も台湾のことに案外、関心をもっているかもしれない。もしそうだとしたら、私の小説は読んでくれるかもしれない。そう思ったので、私はできあがった雑誌に葉書を添えて、 一週間するかしないうちに、島源四郎さんのところから私に、「檀一雄さんから電話があって、小説は読んだ、出版社の世話をするからきてほしい、といっていましたよ」と連絡があった。 私は、夢かと喜んで、すぐに檀一雄邸に電話をかけた。奥さんが電話口に出て、 失礼とは思ったが、いっぺんお宅に挨拶に行っておいた方がよいと考えたので、私は何やら手土産を持って、石神井公園にある檀邸に訪ねて行った。高い塀をめぐらした四百坪からある大邸宅で、木の門をくぐって中に入ると、古めかしい日本家屋の玄関があった。 案内を乞うと、奥さんが出てきたが、やはり檀さんは不在である。用向きをいうと、奥さんは承知していて、 半分がっかりした気分で、私はまた電車に乗って家へ帰ったが、原稿を書いてもほかに見てもらうあてがなかったので、毎日毎日いつ檀さんは帰ってくるのだろうか、とそればかりを待った。
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