トップページ > 炎のシェフ泊のメモ帳 > バックナンバー

   隔週水曜日更新
22. 思い出話 I

2001年9月に再びピエモンテのシェフダヴィデの下に戻ってきました。
イタリアで料理の修業をしている日本人には簡単に分けて二通りあります。
(1) 半年もしくは3ヶ月で違うレストランへ移動を繰り返し、
   とにかく色んな州に行きイタリアをイタリア全体で味わう人。
(2) 気に入ったレストランに2〜3年の長い期間居続けるタイプ。(5〜10年もいました)

私はイタリアへ来た最初の考えは(1)でした。
理由は場所、季節、環境、人の違いを料理で感じ触れたかったからです。
そしてそこで住み、感じ、話、作ってきた料理を自分というフィルターを通し
今後どのように自分を表現していこうかというのが課題なのです。

でもシェフダヴィデにお会いして、
彼のレストランの春夏秋冬を見てみたい、作ってみたい、
そんな気持ちになっていました。
2001年9月より2003年2月まで一年半をこのレストランで過ごし
イタリア滞在の3年間のうち合計2年をシェフダヴィデの下で過ごしていました。

ダヴィデのレストランはピエモンテ州のほぼ中心に位置する為、
野獣系料理やバッカラ(塩漬けのたら)など加工された物を扱う料理が多く、
魚介類は新鮮な物を手に入れたときのみ使用されるのであまりお目にかかれない。
秋になるとピエモンテ名物ポルチーニやトリュフが
毎日レストランへ職人さんが売りに来て今年の出来具合などを話す。
白トリュフを売りに来る職人さんが来れば、
厨房は白トリュフの香りで包まれてどこにいてもすぐに分かる。
採り立ては凄まじいガスを発しており鼻を近づけすぎると鼻がもげてしまうほど強烈です。

一度こんな事がありました。
当時私はデザートを担当していて、パンナコッタを作り
業務用の高さ2mの冷蔵庫へ保管していました。
そして次の日お客様にお出しした際、
お客様がトリュフ風味のパンナコッタは珍しいと言われ私も首をひねりました。
このお客さんは何を言っているのか?という疑問を抱き一口食べてみると、
パンナコッタではなくトリュフコッタといっても良いくらい白トリュフの香りでした。
おかしいと思い冷蔵庫を調べるとそこには、
トリュフを入れているプラスチックの箱の蓋が数センチ開いており、
そこに保管していた物全てトリュフ香に汚染されていました。
全て作り直した事を憶えています。

本当に色んな事があり
シェフダヴィデのレストランで過ごした2年間は密度の濃い生活でした。
それを思い出話として書いていきますので宜しくお願いします。


2007年12月26日 <<前へ  次へ>>