今回は私がイタリアへ滞在していた時に一度だけ、
「マジギレ」した時のお話をさせていただきます。
料理とは全く関係ありませんが、
レストランを仕切るシェフという立場で物事を考える大切さを学び、
共に働くコック達への愛情を教えて頂いたからです。
「今日のその時、歴史が動いた!」ではありませんが、
モノの見方というか視点が大きく変わったのは事実、
それぐらい私にとっての歴史が動いたのです。
あれはピエモンテのシェフダヴィデのもとで仕事をしていた26歳の時、
当時シェフをいれ4人のコックで仕事をしていたのですが、
私を含め2人の日本人コックともう1人若いイタリア人コックがいました。
若干20歳になるそのコックの名前は「ステーファノ」。
まだコック駆け出しで経験は有りませんが気の良いちょっとわがままな性格の持ち主です。
ある日、仕事も終盤に差し掛かりごみをゴミ捨て場に出すため集めていた彼が
突然私に何やら怒り始め汚い言葉を言ってきたのです。
私はイタリア語の汚い言葉は真っ先に覚えた口ですので意味はすぐに理解しました。
そして怒っている内容は、ゴミ袋に熱い油を捨てたから
穴が開いてごみ汁が床にこぼれてしまったというのです。
そんなこと言われるまでも無く捨てるはずも無いし、身に覚えも無かったので
一瞬で私のリミッターが外れました。
言いがかりをつけられたというよりも、
長い時間蓄積されたものが一気に爆発したという感じです。
気がつけばステーファノの胸倉を掴み壁に押し付け日本語(関西弁)で怒鳴りつけ、
シェフのお母さんに羽交い絞めにされていました。
ひと通り喧嘩腰で喋ったあとステーファノが一言
「Yoshi Non capito」(ヨシ、何言ってるか分からない)
ハッと我に返り周りを見渡すと空気が凍りついていたのを今でも憶えています。
そして次の日シェフダヴィデに呼ばれこう言われました。
シェフ「ヨシ、共に働く仲間に暴力を振るうとはどういうことだ?
私が最も嫌いな行為は暴力を振るうこと。
どういう理由があれ、絶対に手をあげてはならない。
ましてやヨシの方が大先輩ではないか!
レストランでよくモノを教えるとき目上のものが叩いたり蹴ったりしているけれど、
私はそのやり方は好きではない。
もしそのやり方を認めれば、そこで働いている従業員全てに
私がピストルを向けているのと同じ事だ。
そんな状況下の中で素晴らしい料理が作れると思うか?
そして暴力は仕事をする上での緊張感とは違い、それは明らかに恐怖だと私は感じる。
恐怖は憎しみを生み、憎しみは暴力を生む。
日本のレストランでは殴られて覚えるのかもしれないが、ここはイタリアで私のレストランだ。
私のやり方でやってもらう・・・それが出来ないなら辞めてもらって結構だ。」
私は日本のレストランで、殴られて蹴られて育ってきましたが、
その行為に恐怖を覚えていたのも事実。
殴られたくないからする仕事と覚えたいからする仕事は別物。
自分がされて最もテンションが下がった行為を私はしていたのです。
後日私はステーファノに謝りました。
胸倉を掴んで大声で怒鳴ったこと、
日本語で卑下したことや仕事場の空気を乱したことを。
するとステーファノは、
「気にすんなよ、これからも仲良くやろう! あっ、でも熱い油は捨てるなよ!」
危なく同じ過ちを犯しそうになった瞬間でした。
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