イタリアでのレストラン修業も4軒目(ミシュラン二つ星 アルノルフォ)を無事終え
2回目の夏がやってきました。
2001年7月、私の元に一軒目でお世話になったレストランのオーナーより
今年の夏もウチへ来ないか?という連絡があり、
私はイタリアへ来て季節の移り変わりと共に
その季節ごと良い場所を選び移動してきました。
なので夏はやはり海だと思い行くことにしたのです。(場所は第3回参照)
イタリアへ渡りこの一軒目のレストラン以外は全てお給料を頂いています。
流石に一軒目のレストランではまだイタリアへ来たばかりだったので
お金は要らないから勉強させて欲しいという熱意が勝っていたので
お金の話はしませんでした。
というか出来なかった。
それに伴う経験値(イタリアでの仕事)、語学力などが不足していたので。
ですがイタリア生活も1年半を過ぎ、
4軒に渡るレストラン修業の経験と語学力を身につけ
海外という拠り所の無い場所で生きていくためにはお金が必要なので
給料の交渉をしました。
一ヶ月/1,500,000リラ(当時ユーロまだはない)
外国人の給料としては良かったのではないでしょうか。
そこのオーナーは快く承諾してくださって早速働くこととなり、仕事はやはりパスタ場。
以前はナポリ出身の彼と二人でやりましたが
今度は一人でやって欲しいと言われ引き受けました。
シーズン真っ只中ですのでお客さんで溢れんばかり。
ランチ・ディナー共に約200人以上のお客様を
一人で順序良くスピーディーにそして美味しく料理し提供する。
もちろん簡単では有りません。
日本で培ってきた技術や経験、イタリアで生活し肌で感じてきたイタリアン魂、
そして日本、イタリアだけではなく各国の人達との出会いなどがあって、
私自身成長し進化したからこそ出来る仕事であって
過大評価も過小評価もしていません。
今まで自分が"ヤッテキタ"事がそのまま自分に跳ね返ってくるのです。
決して手を抜かず、自分と向き合い少しずつでも確実に前へ進むという心構えが
私の両腕と脳みそに「技と智」を身に付けてきたのでしょう。
お客様からもここのレストランのリゾットは絶品という声まで頂き
さらに自信がつきました。
夏も終わりに近づき秋にはまたあのシェフダヴィデの元へ戻る予定でしたので
オーナーにその旨を伝えると、
「給料一ヶ月/2,500,000リラに上げるから残って欲しい」と言われましたが、
出稼ぎに来ている訳ではないので丁寧にお断りしました。
もっと自分を鍛え上げ、輝きを増す為には
まだまだ道のりは遠く険しいのだと自分に言い聞かせ
立ち止まりたくは無かったのです。
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