| 2001年2月28日私のイタリア料理修業4件目となるレストランはトスカーナ州フィレンツェからシエナに向かうバスで一時間ほどの処、
 コッレ ディ ヴァルデルザという町にある「リストランテ アルノルフォ」
 <Arnolfoとは有名な芸術家の名前>
  ミシュラン=二つ星のレストランで、日本の雑誌でも何度か紹介された事があるほどの有名レストランでした。
 かの有名映画監督フランシス・フォード・コッポラや
 当時セリエAで活躍していたサッカーの中田選手などが訪れたこともあるとか。
 シェフガエターノの印象は、穏やかでしゃべり口調も何かのんびりした感じを受け、シェフダヴィデとは対照的な雰囲気を持っています。
 そしてシェフガエターノのお兄さんジョバンニがサービスマネージャー兼ソムリエ、
 兄弟でレストランを仕切っているようでした。
 客席数は30席ほどで、
 地下が厨房になっており料理は配膳用リフトに乗せ、一階に運ぶというスタイル。
 厨房が地下に在るといっても大きな窓からは草原や小高い丘などが眺め、
 ベランダに出ると何とも言えない素晴らしい景色と共に
 美味しい空気も味わえるちょっと粋な厨房でした。
 私がこのレストランへ来た頃には私を含め厨房に日本人四人、カナダ人一人、イタリア人二人、
 洗い場担当兼パン作り兼仔羊などをさばく元気いっぱいなおばさん、
 そしてサービスでソムリエの勉強をしている日本人女性が一人。
 この元気いっぱいなおばさんはシェフの右腕的な存在で、
 お兄さんのジョバンニが書いたオーダー表を読める唯一の人物でした。
 兄弟でもシェフのガエターノはお兄さんの書いた字を完璧に読めきれなく
 幾度と無くおばさんに聞いていたことを憶えています。
 私の仕事はプリモピアット。スープやパスタ、リゾットなどを作るポジションをすることとなり
 一ヵ月後には一人で全てこなし、従業員の賄いパスタも作るほどレベルアップしていました。
 でも一番苦労したのがパスタの仕込み。
 全てもちろん自家製でガルガネッリ(Garganelli=エミリアロマーニャ地方の手打ちマカロニ)や
 ピーチ(Pici=シエナ地方の手打ちパスタ)
 ラヴィオリ(Ravioli=詰め物をした形は様ざまなパスタ)等を
 手作業で一本一本作っていくので
 気が遠くなり気絶しそうな仕事だったことを覚えています。
  毎日予約の人数分だけ作り新鮮な作り立てをお客様に提供する。妥協は一切許さないシェフの信念、穏やかな風貌に光る鋭い眼差しは
 今でも私の脳裏に焼きついています。
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