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11. エノテカ<その弐>

カナーレという小さな町の中心に教会があり、
日曜日の朝早くに沢山の人達がミサの為集まる。
その教会の真後ろにリストランテ アル エノテカは店を構えていて、
一階はロエロという地区のワインを扱ったショップになっており、二階がレストラン。
その昔この建物は幼稚園として使われていて、シェフの両親が通っていたらしい。
教会には、カナーレを一望できる高さの塔があり、
その上の大きな鐘が時間になると町中に鐘の音を響かせる。
教会とレストランは一つの建物のように繋がっていて、レンガ造りの雰囲気ある外見。
(教会の中からレストランへは行けません)

前回の続き
二人ボッチの仕事が始まった。
シェフダヴィデは若く、当時29歳。私は26歳でした。
二十代でしかも私と三つ違い。スペイン、ドイツの料理修業経験アリ。
かなり頭が柔軟でデザートには遊び心も取り入れている。
料理に対する想いは、
「州の郷土料理は進化する必要は無いが、
州の中にある小さな地域のクッチーナ・テリトーリオ(限定された地域の料理)は
進化していかなきゃいけない」
という考えで進化といっても完全に新しいものに変えてしまうのではなく、
古典的なものをいくつか外し彼なりにアレンジしていく。

私にとって全てが斬新で新発見ばかりの料理の数々。見て楽しく、食べて驚く。
人柄も優しく、兄貴的な存在で時折日本語で冗談を言ったりと笑いもしっかりとる。
英・独・西・仏・伊語を話せ、日本語は話せないそんな彼の口癖が、
「やっぱりダメだ! ダメダメ!」
誰が教えたのかは知らないけれど、絶妙のタイミングで言い放つ。
笑うのは私一人だけれど、そういった一言でなぜか心が和む。
二人しかいないので、もちろん仕事は山のようにあるが不思議と営業前には全て完了。
営業中はダヴィデの指示で全てが動く。まさにオーケストラ。
指揮と第一バイオリンを同時にこなしている感じで、
私にはオーラが見えた気がしました。

その日の夜、心に決めたことがあります。
「シェフダヴィデから学ぶべきものが沢山ある、彼についていきたい。」
レストランにももちろん魅力を感じましたが、シェフダヴィデに一番魅力を感じ、
偉大なシェフはいっぱいいるけど、まだ若くてそうなりつつあるシェフに出会えたことが
何より幸せだと感じました。

この二人ボッチの期間だけでなく、ダヴィデと共にこなした仕事と生活は私の血と成り、
今の私の仕事や生活に対する骨格といえます。


2007年7月25日 <<前へ  次へ>>